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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(93)

 だれしもがその水が生産物に不可欠なものだと肝に銘じていた。オウロ川の左岸の石切り場の少し先に設けられた灌漑システムの水門を500メートルほどいった下流が、排泄物でひどく汚染されていることを知っていたからだ。そこには処理されていないアララクァーラの町の下水が排出されていた。そこから先は釣り人の姿がないのは、魚が生存していないからだった。
 正輝は一番上の畑に花とレタス、チコリ、カリフラワー、キクジシャなどの野菜を植えた。栽培期間が短く、あっというまに収穫でき、朝市で売ったり、食卓に供したりすることができるからだ。二番目の畑には人参を植え、三番目にはビート、四番目にはさやまめを植えた。さやまめはあるていど生長すると、竹の添え木がいる。時期によっては、そこに茄子も植えた。五番目の畑にはオクラとトマト、トマトもある程度生長すると添え木が必要になる。いちばん下の畑は玉ねぎにした。玉ねぎは茎ごと収穫し、その茎を三つ網にして朝市に出すのだった。
 オクラと茄子には棘があり、収穫のときは手を怪我しないよう気をつけた。マサユキもこんな作業ができるようになっていた、古い靴下を手袋のように使った。トマトはまだ青いときに収穫し、赤くなるまで納屋の床にねかせ、赤く熟れたトマトを選んで、朝市で販売する。
 土に肥料を混ぜる時期は臭く、そして、かゆみに悩まされた。オンボロのトラックが運んでくる牛糞が肥料だった。トラックから手押し車で畑まで運ばれ、それを鍬で土とていねいに混ぜ合わせた。悪臭を放つ牛糞が問題なのではない。乾いた牛糞はノミの大群の一大繁殖場だった。それが悩みだった。
 朝市の前日、クリオロというラバに引かれる荷車が用意された。朝市は週二度立った。日曜日にはカマラ広場(議会広場)に、もう一つは火曜日のサン・ジェラルド教会広場だった。

 正輝には物欲というものが欠けていた。土地を所有するなど考えたこともなく、その所有地を広げて、裕福になろうとは思ったこともなかった。野心がないのは生まれもった性格のようだった。物質への関心など皆無にひとしい。ここ数年の彼の関心事といえば、故郷が世界史上でも稀な激動のなかにあるということだった。頭を占めているのは実生活からかけ離れた政治問題だった。
 1918年の第一次大戦いらい、日本政府は時にはゆるく、時には激しく、あらゆる手段をとった。国際情勢は強硬手段以外に方法がないことを、国民に納得させやすくしてもいた。
 橋本欣五郎が先頭に立って陸軍の将校たちと結成した軍国国家主義の「桜会」というのがあるが、彼らが発表した『青年諸君に告ぐ』という論評に反発できる答えはなかったようにみえる。
 それは次のような論旨だった。

「すでに述べられたことだが、日本が人口過剰の問題を凌駕するためには、移民事業、海外市場への進出、国土拡張による三つの方法しかない。移民は受け入れ側の反日本体制によって禁止された。海外への進出は関税問題と通商条約撤回の壁に突き当たっている。三つのうち二つの門が閉ざされた日本はこの先、如何なる道をいけばいいというのか?」