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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(97)

 正輝がマッシャースド区の沖縄出身の仲間と話しているあいだ、房子は故郷で身につけた中国医学を基礎にした治療法を教えてくれないかと頼まれていた。結婚後すぐ正輝にほどこし効果のあったお灸が、いまでは一般的なものとなり、みんな、その方法を習いたがった。頭痛、寒気、筋肉痛、疲労に効果があり、ときには胃腸の消化不良にもきいた。リューマチのような重い病気には効果がなかったが、痛みを和らげるのには役立った。
お灸ほどひんぱんではなかったが、房子は瀉血、ブラジルではベントーザという治療をした。アメリカーノのユタの忠告で、先祖の位牌をまつった仏壇の引き出しにしまってある中国医学の説明書に書かれた治療法だ。瀉血治療はお灸と同じように、重い病気のときの補完治療で、痛みを和らげた。
 房子はいつも前もって準備した。道具はきれいに洗浄し、消毒したいくつかのコップ、アルコールのビン一本、マッチ、それによく研いだ剃刀だ。剃刀は正輝が髭を剃るために、いつもちゃんと研いであったものだ。

 剃刀は正輝の大切なものだった。ドイツ製の「ゾーリンゲン」という製品ばかり使っていた。平均的な日本人とちがい、沖縄の男の髭は太く、丈夫で、濃かった。正輝は髭を剃るとき、痛くないように月に二度以上は研いでいた。彼にとってそれは儀式のようなものだった。
 研石は厚さ1・5センチほど、幅7~8センチ、長さ20センチほどあり、それを家の奥のにわか造りの台にのせ、その前に座りこむ。研石に何滴かのきれいな水をたらし、剃刀の刃をそこに当てた。いつも注意深く、刃全体が平均して砥石にあたるようにした。刃の切れ味が不平等にならないようにするためだ。研ぎ方によっては剃刀が使い物にならなくなることもある。刃の山が直接研石にあたらないように、剃刀の刃の部分を抑えながら長いあいだゆっくり滑らせる。いずれ刃の山も時間とともに磨り減っていく。そこが正輝の剃刀の寿命を見極める部分なのだ。
 この研ぎすまされた剃刀をアルコールと火で消毒して瀉血治療に使った。
 この治療の目的は患者の体から血液を抜くことにある。「汚れた血を抜く」と房子は説明した。患者の背中をアルコールでよく消毒し、コップの当るところに剃刀を使って縦に小さな切り傷を入れる。そこにアルコールをほんの少し含ませた布を置き、それに火をつ、その場所にコップを置く。コップ中の酸素が燃えると火は消えて、コップは患者の背中に吸いついた状態になる。コップが吸いつくと同時に患者の血を吸いあげる。この治療の目的は血を抜くことにあるのだ。患者の状態によるが、6カ所あるいは8カ所ほどにこの治療を行う。
 この治療法を知らなかったり、その目的を知らないものは見て驚いてしまう。西洋人、ブラジル人、ヨーロッパ系移民、小作人、農場主、日雇い人、田舎者がその情景を目にしたらびっくりするはずだ。沖縄ではこの治療法をブー・ブーとよぶが、知らないものには野蛮な妖術と映るかもしれない。
 たしかに治療法には痛みがともなう。しかし、西洋医学とうまく併用すれば効果があるという先生の言葉どおり、この治療を手がける房子はその効力をもっと評価すべきだと考えていた。みんな治療法や背中に残った傷で文句をいったが、受けたあと確かに痛みがおさまったと喜んでいる。正輝の背中はもちろん、房子の背中まで傷跡だらけなのは、彼女が夫に瀉血治療を教えて、治療させていたからだ。