仏教徒でもキリスト教で葬式?
【中川】最近、自分の最期は在宅医療か病院医療のどちらで迎えたほうが良いのか考えたんです。日本では在宅がいいという方が多いと聞きますが、自分は病院の方がいいなと思いますね。
【深沢】病院に世話になるっていうのは、具体的にはどこでとか考えてらっしゃいますか?
【中川】やはり日本語が通じるところがいいですね。
【深沢】でしたら、例えば『援協にこういうことをお願いしたい』という要望を聞かせてもらえれば、紙面を通じてお願いできますよ。
【中川】そうですね…。心臓手術の際にお世話になった病院では病気の説明が全てポルトガル語でした。やっぱり、自分の最期の時には日本語で説明してもらってしっかり理解したいと思いますね。
【深沢】母国語で説明して欲しい、というのは移民ならではの事情ですよね。
老人ホームについては、どう考えてますか? 体の調子が悪くなって老人ホームを探すと費用は結構高いですよね。さらに日本語が使えるところとなるともっと高くなる。だから、日本語のある環境での最期を求めている人もなかなか入れない。
その場合どうすればいいのか。結構その辺で悩んでいる人多いと思うんですよ。お金を持っている人はいいんですけど、そういう人ばかりではない。子供に頼れない人もいる。そういう現実がありますよね。
【中川】どのくらいの期間お世話になるのかもわからない。入居期間が長くなれば、それだけ費用もかかるし。かといって面倒を見てくれる人がいないと、在宅も大変。亡くなり方次第では解剖もされますし。
【上野】そう。在宅死にはうるさいから。家族に迷惑かけるのが嫌だよね。そういう意味では、家族には自分の体が悪くなったら、すぐ病院連れてってくれってと頼んでおかないとね。
【深沢】ただ病院に運ばれちゃうと延命治療を受けて死ねなくなってしまうこともあるんですよね。
【上野】病院で死ぬ方が、後でIMLへ運ぶ必要がないから、簡単でいいんだけどね。
【深沢】「延命治療しないで欲しい」という意志を、はっきりと周りの人に前もって知っておいてもらう必要はありますね。
この間、日本のテレビ番組でやっていましたが、父親の厚生年金に家族がすがって生活しているケースがある。その年金がもらえなくなると大変だから、父親の意識がなくなって植物人間になっても、家族が病院に延命治療をお願いすることがあるそうですね。
【上野】そりゃ、本人も大変だな。
【深沢】あと、前から気になっているのがお葬式のやり方。故人はどう考えても仏教の人だったのに、キリスト教の教会で子ども達がミサをあげている。どうして仏教徒だった人が、通夜や初七日を仏式で出来ないんだろうと。
いまは「ブラジルではそういうもの」と思うようにしているんですけど、最初は結構、違和感がありました。
子ども達がキリスト教だったら、やっぱり子ども達のやり方でやるしかないんだろうと思います。けど、本人の気持ちとして、どこどこのお坊さんに来てもらってお葬式あげて欲しいとか希望があれば、周りに伝えておかないといけないと思います。
まぁ「死んでから、そんなこと気にするか」って言われたら、気にしないかもしれないですけど(笑)。(つづく)
【終活座談会の補足】=逝き先は天国? 極楽?=葬式が与える死後の影響
移民特有の悩みの一つとして、故人の信仰と葬式様式が違うという話を聞き、「葬式方法で死後の逝き先は変わるのだろうか?」と疑問を持った。葬式には故人の死を社会に伝えたり、遺族の心を整理する効果があるが、今回は故人の〝逝き先〟に与える影響に注目して調べを行った。
今回取り上げるのは、日本で信者数最多の仏教宗派、浄土真宗の信者が、ブラジルで最多の信者を持つキリスト教カトリック式の葬式で送られた場合。果たして辿りつく先は、キリストの待つ「天国」か、それとも阿弥陀仏の導く「極楽浄土」なのか。
はじめに浄土真宗とカトリックがどういった宗教なのかを確認する。
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【浄土真宗】鎌倉時代の僧・親鸞を宗祖とする現代日本最大の仏教宗派。江戸時代に徳川家康の宗教政策によって、本願寺派(通称:西本願寺派、現在信徒数792万人)と、真宗大谷派(東本願寺派、770万人)に分派した。信徒数は文化庁資料平成30年版宗教年鑑より。
両派ともに、生前に阿弥陀仏への帰依を決心(一念発起)し、極楽浄土に往生することが定まった身(現生正定聚)となった後に臨終を迎え、死後、阿弥陀仏に「極楽浄土」へ導かれ、そこから輪廻転生を脱する旨を説く。
生前に〝逝き先〟が決まる為、浄土真宗の葬儀は、故人の供養が目的ではなく、遺族の心の整理や阿弥陀仏に感謝の意を表すためなどに行われるという。
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【カトリック】ローマ教皇を中心として全世界に12億人以上の信徒を有するキリスト教最大の教派。ブラジル国内でも人口の64%の人々(約1億2千万人)が信仰している。信徒数はIBGE2010年国勢調査より。
『旧約聖書』を聖典とし、父なる神、子なる神(イエス・キリスト)、聖霊の三位一体を信仰する。教義や聖書について一定期間学んだ後、洗礼を受けて信者となる。
死後は、生前の行いを元に〝逝き先〟が審判(私審判)され、天国、煉獄、地獄の何れかへ渡り、世界が終りの時を迎えるまでそこに居る。世界が終る時には、故人の肉体は復活し、改めて審判(公審判)を受け、認められた者は肉体を持って神の国へと渡り、そうでない者は地獄へ渡る。
カトリックの葬儀は、故人が神に受け入れられ、永遠の命を得られるように遺族が神へ祈りを捧げるために行われる。逝き先を決めるのは父なる神であり、葬式の有無や内容には左右されない。
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【結論】両宗教とも「生前の行い」が逝き先を決める決定的な要素となっており、葬式の有無や内容が〝逝き先〟を変える事は無い。よって、生前に阿弥陀仏への帰依を決心した浄土真宗信者は、カトリック式の葬儀で送られたとしても、辿り着く先は「極楽浄土」であるようだ。
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【編集部所感】それぞれの宗教によって〝逝き先〟が違うことは理解していたが、世代間で宗教が違うと〝逝き先〟が違ってしまうという当然のことに、何故だか寂しさを覚えた。片や輪廻を脱し、片や神の国へ召される。生きている間に、葬式の様式よりも、親族とはそこを語り合うべきかもしれない。