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県連故郷巡りカリフォルニア=150周年、満砂那(マンザナー)に平和を祈る=《15》

「人々に銃口向けし自由と平等」

慰霊碑の背面には「満砂那日本人建立」の文字が刻まれている

慰霊碑の背面には「満砂那日本人建立」の文字が刻まれている

 参加者の一人、多田邦治さんにも一首頼むと、《あらがいもなく立ち迷う人々に銃口向けし自由と平等》という、実に考えさせられる短歌を送ってくれた。
 マンザナー慰霊碑前で仏式法要をしたロスの洗心仏教会の僧侶・古本竜太さんは、「サンパウロの梶原総長から連絡があって、私に声がかかりました。皆さんに来て頂いて、とても嬉しいです。普通の日本人の観光客はこんなところまで来ません。まして他の国の日系人がこんなに大挙してやってくれくれるなど、聞いたことがありません」と声を弾ませた。
 「梶原総長」とはサンパウロの浄土真宗本派本願寺(西本願寺)南米開教区の開教総長・梶原洋文マリオさんのことだ。仏教会も南北米でつながっている。
 マンザナー強制収容所は1942年に開設され、ここで亡くなった140人を弔うために43年8月に建てられた。碑の裏に「満砂那日本人建立」との文字があったので、件の僧侶に尋ねると「マンザナー」と読み、「砂が満ちた美しいところ」という意味があるという。
 彼の説では、日本の西本願寺に仏教婦人会を創立した立役者の一人、九条武子が作った仏教讃歌「聖夜」に出てくる言葉に影響を受けた当て字ではないかという。
(1)星の夜空のうつくしさ、たれかは知るや、天(あめ)のなぞ/無数のひとみ輝けば、歓喜(かんぎ)になごむわがこころ
(2)ガンジス河の真砂(まさご)よりあまたおわするほとけたち/よるひるつねに守らすと/聞くになごめるわがこころ」
 意味としては「高原の夜空に輝く満天の星空の輝きは何と美しいことか。数えきれない星々は、仏さまのまなざしに思える。仏さまが見ていてくださっている思うと、私の心は喜びでいっぱい。大河ガンジスの岸辺の砂の数よりも、多くいっしゃる仏さまたちが、どこにいても常に見護っておられることを聞くと、私の心はなごみます」
 日本移民とその子孫12万人は1942年に発令された突然の強制退去命令に驚き、それまで営々と築いてきた財産を捨てらせられ、トランクたった二つで全米に10カ所建てられた強制収容所に入れられた。マンザナーにおいては、山脈の谷間の荒野に即席で建てられたバラックに1万人が押し込められた。やりきれない不安と怒りに包まれていたに違いない。
 そんな非常時だからこそ、夜空の星の瞬きを仏さまのまなざしに譬え、吹きすさぶ荒野の砂にすら、仏さまの慈悲の心を読みとって、自らを慰めなければならなかった。古本さんは、そんな心情が当て字の由来ではないかと語った。
 強制収容所に入れられた計12万人のうち7割が、アメリカ生まれの二世だったり米国市民権を持っている一世だった。そんな国民を「日本人」だからといって強制隔離したのは、アメリカ合衆国憲法が定める「国民の平等」に反した政策だった。日系アメリカ人市民同盟(Japanese American Citizens League、JACL)がそれを人種差別だと訴え、連邦政府が謝罪したのは約40年後だった。だがその間、多くの強制収容者が無くなっていた。

仏式法要のあと、慰霊碑の前で記念撮影

仏式法要のあと、慰霊碑の前で記念撮影

 一行が慰霊碑を訪れたのは12日だったが、4月末にはなんと2千人が集まって慰霊集会が行われたという。毎年4月末に、元収容者とその家族を中心とした集会が現地で行われているが、今年はそれが50年目の節目で、異例の人数が集まった。
 思えば、今回の故郷巡りも第50回。これも何か縁ということだろうか。(つづく、深沢正雪記者)