米国の自由と平等を守った男
2001年9月11日の米国同時多発テロの時、米国の自由と平等を守るために活躍した日系人がいた。ノーマン・ミネタ氏は運輸長官としてブッシュ大統領からホワイトハウス地下の緊急対応センターに呼び出された。その時米国上空を飛んでいた民間機4638機を緊急着陸させるという米国史上初めての命令を発令し、2時間20分で遂行した。
ミネタは民主党議員としてクリントン政権で日系人として初めて閣僚に選ばれ、その実績を買われて、共和党のブッシュ政権になっても閣僚を続けた珍しい人材だ。党派を超えた逸材と見られていた。
当時、イスラム教徒やアラブ人を飛行機に乗せるなという世論が高まり、「アラブ系市民の隔離をせよ」という意見まで出ていた。全米日系人博物館で配布されたDVD『アメリカを守った男―日系人議員ノーマン・ミネタの80年史』(FCI、2012年)によれば、《全米でアラブ・イスラム系市民への差別行為がテロから1週間で645件》という数字が公聴会で発表され、テロ後1カ月間では「ターバンをしてひげを蓄えていた」という理由でシーク教徒を殺す事件など7件の殺人事件まで起きていた。
しかしミネタ氏は日系人強制収容所での辛い経験から、全米放送のテレビ報道番組に出演して「アラブ系やイスラム系市民だというだけでその人をテロの容疑者扱いしてはいけない」と公言し、保守派のメディアや政治家から強い非難を受けるに至ったが、断固として受け入れなかった。
人種を選別することなく空の安全を守るために、ミネタ長官がアメリカ合衆国運輸保安庁(TSA)を創設した。そこによって作られたトランクケースの鍵の新しい規格が「TSAロック」で、最近のものにはほぼ常備されている。海外旅行に使うトランクにも、米国日系人の経験と判断が影響している訳だ。彼は後に全米日系人博物館の理事長にもなった。
一行の一人、多田邦治さんからはこんな一首も送られて来た。
《星条旗のもとに生まれて星条旗ひるがえる収容所に君らいくとせ》
マンザナーの強制収容所資料館を、じっくりと最後まで見ていた参加者の渕田光治さん(78、二世、サンパウロ市)は、「マンザナーを実際に見るためにこのツアーに参加した。日系人であるがゆえに強制収容された歴史を、二世として見てみたかった」とのべた。
この慰霊碑は、前日に観光したハリウッドやビバリーヒルズより100倍も印象に残った。果たして、ブラジルのサントス強制立退きへの謝罪請求運動は米国のような動きになるだろうか。(つづく、深沢正雪記者)