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「早死伝説」が多すぎるブラジル音楽界

ガブリエル・ジニス(Prefeitura De Guarabira/PB)

ガブリエル・ジニス(Prefeitura De Guarabira/PB)

 27日、男性人気歌手ガブリエル・ジニスが小型飛行機の墜落で亡くなった。昨年、ラテン・ダンス調のラブ・ソング「ジェニフェル」が大ヒットし、これから国を代表する人気者になりかけた矢先だった。ワイルドながら親しみやすい容姿に、高音域がスカッと伸びる恵まれた声質、そして、「ジェニフェル」のミュージック・ビデオであえてセクシー美女ではなく、大柄な女性をヒロインにして歌を捧げるフェミニスティックな女性へのマナー(これが受けた)。人気がさらに上昇する可能性も秘めていた▼それにしてもブラジルの音楽界には、才能に恵まれながら、こうした悲しい夭折があまりにも多すぎる。「音楽で飛行機事故死」と聞いてブラジル人なら真っ先に思い出すのがマモーナス・アサシーナスだろう。「殺人的な巨乳」という人を食ったバンド名の彼らは、1995年にデビューするや、その年最大級のヒットを連発。一躍、人気ナンバーワンのアーティストになっていたが、96年3月2日、ブラジリアからサンパウロ州グアルーリョスへの小型飛行機での移動中、悪天候で方向を見失いカンタレイラ山脈に墜落。メンバー5人全員が20代半ばにして命を落としてしまった▼事故で亡くなったといえばマモーナスの事故の翌97年、ペルナンブッコ州のバンド、シコ・サイエンス&ナッスン・ズンビのヴォーカル、シコ・サイエンスが29歳の若さで交通事故死している。彼らの場合、ロックとヒップホップとブラジル民族音楽をミックスしたサウンドで国際的評価も高かったために世界的にその死が報じられている。自動車事故では1977年、1960年代に「サンバの女王」と謳われたマイザも41歳で命を落としている▼また、「病死」の場合もある。1980年代にブラジルにおけるロック・ブームの立役者のひとり、カズーザが1990年、エイズにより32歳で生涯を閉じる。1996年には、ブラジル・ロック界最大のバンドのリーダー。レジオン・ウルバーナのレナート・ルッソも、同じくエイズだと見られている病気のために36歳で夭折。昨年、映画で世界的なブームとなったクイーンのフレディ・マーキュリーのような存在がブラジルには2人もいたのだ▼さらに「薬物死」も少なくない。1982年には「ボサノバの女王」として世界的に有名なエリス・レジーナがコカインとアルコールの過剰摂取で36歳で急死。2001年には、ブラジルで初めてレズビアンであることを公式に表明したことでも知られるカシア・エレールがコカイン常用と過労が原因で39歳で急死。同年のロック・イン・リオでの伝説的な熱唱が国際的にも注目されていた矢先だった▼2013年には90~00年代のラップ・ロックの人気バンド、チャーリー・ブラウン・ジュニアのヴォーカル、ショロン、ベーシストのシャンピニオンが半年違いで世を去った。前者は恋人と別れた精神的動揺での薬物中毒、後者はその後の音楽人生に苦悩した末の自殺。43歳と35歳の若さだった▼この他にも書ききれないほど不慮の夭折があるし、死こそ免れたものの、オ・ラッパのリーダーだったマルセロ・ユッカや、パララマス・ド・スセッソのヴォーカル、エルベルト・ヴィアーナのように半身不随の重症を負った例もあるなど、「ブラジル音楽界は呪われているのか」と思えるようなときさえある▼サンバやボサノバ、MPBをはじめとしてブラジル音楽には国際的にファンも少なくないが、ここで名前を挙げて紹介した人の死がもっと少なければ、さらに盛り上がったような気がししてならない。(陽)