ニュースを観て、おぼえず小踊りした。渋沢栄一が一万円札の肖像になるというのだ。
雀躍りの訳は次のようである。色あせてほころびかけた『ピンドラーマ入植30周年記念史』のなかに、植民地の存亡にかかわる重大事についての記述がある。植民地草創の頃の地権にからむ複雑な問題があったが、入植者が一致団結して数年がかりで一人の落伍者も出さずに解決にこぎつけたのだった。
後年、当植民地をおとずれてこの話を聞き、感銘をうけた修養団の蓮沼門三主管が、彼の筆になる『総親和総努力』の書を贈って、以来このことばが当植民地運営の理念となっている、と記されている。
もう40年以上も前のことだが、私は会館の壁に掲げてあるその扁額を見上げて「おや」と思った。揮毫者は蓮沼門三ではなく、『渋沢栄一 八十九歳翁』とあり、署名と三つの捺印がある。これはどういうことか。事実がこうなら史誌の執筆者の間違いということになる。
しかし渋沢栄一とは何者? 当時の私は不勉強にして、まだ渋沢栄一ついてはよく知らなかったのである。
調べて行くうちに人物像が明らかになって私は興奮した。「これはえらい人のだ!」 思うに蓮沼門三師は、所蔵の、いや秘蔵のこの書を贈ってくれたのにちがいない。以来私は、ことあるごとに植民地の『若い者たち』にこの書の貴重なることを説いてきた。
しかし残念ながら、どこの植民地でも同じようなものと思うのだが、漢字の扁額なんて今ではあまり関心がもたれない。二、三世の役員諸君にとっては当然だろう。この扁額も長年のあいだ、会館での会合や催しごとがあっても皆の興味を惹くでもなく、壁にかけられていた。
ある時は会館の改修工事や壁の塗り替えで物置にいれられたまま、文字通りお蔵入りになっていたこともある。「山元がうるさいぞ!」ということでか、また壁にかけられたが、ある年、三世で日本人会長の池森君が相談にきた。「あの扁額はわれわれにはサッパリ解らない。このさいポ語の翻訳をいれたらどうだろう」 ということで、余白にブラジル語をかきいれた。
今回のニュースで扁額への関心はにわかに高まった。若い連中は早速スマホで『渋沢栄一』を検索する。そして「うぇ、すげえ人物の書だったんだ」と驚きの声をあげたりしている。「だから言ったろう」 私は長年の懸案から解放されたようでホッとした。
一騒ぎのあと、「本物かよ」「売ったらなんぼ?」「外に知れたら盗られはせんか」「カメラとアラルメが要るな」などビックリ半分、喜び半分で意見百出する。真贋については私は真ものだと思っている。すこしクッピンが入って古色蒼然としているだけではなく、右から書かれており、渋沢栄一の署名も旧字体である。
それに何しろ60数年も前からこのピンドラマの会館にかかっているのだから。彼は昔からそんなに高名だったのかしら、贋物がでまわるとしたら有名になったこれからだろう。こんな植民地のお宝を金もうけの具と考えるのは下劣で論外だとしても、値打ちはしりたいものだ。
ここブラジルよりは日本でのほうがよい値がつくと思うのだが―。いずれ一万円札が出たら、それを拡大してポ語での説明書きを扁額の下に加えようと考えているところである。