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【世界救世教ブラジル宣教本部竣工50周年】アマゾン、北東伯へも発展=19日式典でも喜びの声続々

 19日の「宣教本部竣工50周年記念式典」も午前10時に開幕し、全伯から1105人が参加した。講堂内には400人、講堂の外には605人ほどが駆けつけ、2階の小講堂には約100人が集まった。一日目と同様に式典が粛々と進み、この日は全国から集まった18人が順々に玉串奉奠をし、厳かな表情で天津祝詞(あまつのりと)を唱えた。
 体験報告ではブラガンサ・パウリスタ教会のジュヴェナル・サウゲイロ・アントゥネスさん(89)が58年間の信仰人生を語った。午後4時からは、コーラス隊が歌で奉仕し、竣工50年目の記念すべき日を盛大に祝った。
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ゾロイナ・カヴァウカンチ・ボルゲスさん

ゾロイナ・カヴァウカンチ・ボルゲスさん

 「孫も信者になり、四代にわたってご奉仕しています」と話すのは、玉串奉奠を務めたマット・グロッソ・ド・スル州カンポ・グランデ市在住のゾロイナ・カヴァウカンチ・ボルゲスさん(67)。73年に夫の勤務地であるリオデジャネイロ州で入信し、今は教師を務めている。
 「信者だった義父にリオの教会に連れて行ってもらい、月次祭で渡辺哲男先生の話を聞いて信者になった」と振り返る。
 1年後に現在のカンポ・グランデ市に引っ越し、夫が入信。当時は同地での布教開始時で、一家族の信者と一緒に布教を始めた。その努力が実を結び「50人入信、さらに教会建設も許された」。夫と娘婿も教師となり、奉仕活動に励む。「これからも挑戦。明主様の夢を叶えたい」と決意を新たにした。
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テルオ・カワムラさんと奥さん

テルオ・カワムラさんと奥さん

 テルオ・カワムラさん(73、三世)はサンパウロ州モジ・ダス・クルーゼス市在住で、スザノ市で最初に布教を始めた先駆者だ。先に祖母と母親が入信したが、当初は全く信じていなかった。しかし19歳の時に破傷風になり「医者は死ぬと言ったけど、母親と祖母が浄霊してくれて40分で治った」。67年には入信した。
 90年にスザノ市へ引っ越し、浄霊を始めた。尋常性白斑(じんじょうせいはくはん)の黒人男性に浄霊を行い、1カ月で治した話が噂を呼んで信者が増大。ポア市でも初布教活動を行なった。「母親は84歳、父親は90歳までご奉仕していた。自分もその年齢まで頑張りたい」。
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ロベルト・マグノ・ラモス・デ・オリヴェイラさん

ロベルト・マグノ・ラモス・デ・オリヴェイラさん

 ブラジル北部のアマゾナス州マナウス市には約千人の信者が活動する。76年に当時23歳で入信したロベルト・マグノ・ラモス・デ・オリヴェイラ(66)さんは、「好奇心で友人と信者の家で夕拝に参加し、浄霊を受けた」。生来の信仰深さから奉仕の精神に賛成し入信を決めた。
 その後、仕事の関係でロンドニア州ポルト・ヴェーリョ市に移り住んだ。当時は信者が2人しかいなかったが、布教を始めて22人が最初に入信。同地で布教活動を10年間行う間に、浄霊センターが開設した。
 アマゾナス州は広大だが教会が1つしか建設されておらず、浄霊センターも3つのみ。「人の移動が大変。船で安く済ませようとすると時間が掛かるし、飛行機だと早いけど高すぎる。布教には難しい」と厳しい状況に通うのにも苦労している。それでもオリヴェイラさんを突き動かすのは、浄霊を信じる使命感だ。
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ツヤコ・アキバさん(中央)と息子と友人

ツヤコ・アキバさん(中央)と息子と友人

 「3日前に強盗被害に遭ったけど助かったのは、明主様に守られているから」――驚きの言葉を発したのは、息子と仲間を連れて式典に参加したツヤコ・アキバさん(65、三世)。
 サンパウロ州ヴァルゼン・グランデ・パウリスタ市在住で、家族全員で67年に入信。信者になったきっかけは浄霊によって母親の病気が完治したこと。「腹膜炎で医者に1週間しか生きられないと診断されました。藁にもすがる思いで、朝早くうちを出て、遠くの浄霊所まで行き、帰ってきたら夜中という生活を一週間続けた」。その後、医者から完治を告げられ家族全員で入信を決意。82年までの7年間は宣教本部の職員を務め、5人の子供も入信し奉仕活動に勤しむ。
 3日前の強盗被害では手足を縛られ、車や色々な物を盗まれたが「生きているし、泥棒も優しくしてくれた。日頃のご奉仕を頑張っているからです」。
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ロゼニー・サントス・フェレイラさん

ロゼニー・サントス・フェレイラさん

 ロゼニー・サントス・フェレイラさん(61)はバイーア州サルバドール市在住、ピトゥーバ教会を建設した功労者。理学療法士だが、息子が病気になっても薬を飲ませず浄霊で治癒してきた。昔から日本が好きで神に仕えたいと考えた時に日本の宗教を探した。
 85年に入信し、88年に同市から130キロ離れたアラゴイーニャという町で布教活動を始めた。浄霊の勉強会を行ううちに信者が増え、93年には教師に。使命感から教会建設を成し遂げた他、信者を300人から500人に増やす目標を達成した。
 玉串奉奠に選ばれたことは「言葉が出ないほど嬉しい」と声を詰まらせ涙を流した。先達からの使命を乗り越え「健康のグループで、奉仕の責任者として活動を本部の先生に指導してもらう」とう夢に向け、挑戦を続ける意志だ。