県人会交流、見れなかった桜祭り
長澤鼎(かなえ)はブドウ農場を加州10大ワイナリーのひとつにまで育て上げ、熱心に研究して高品質な製品を作り、英国へ輸出された最初のカリフォルニア・ワインとなった。
ウィキペディアによれば、生涯独身を貫き、83歳で加州に骨を埋めた。莫大な土地財産は排日土地法(1913年に加州議会で可決)等のため相続できず、他人の手に渡ったという。
その後、長澤の存在はすっかり忘れられていたが、1983年にレーガン大統領が訪日した際、長澤を「日米交流の祖」としてもち挙げたことで、再び知られるようになった。
おもえば、ブラジルでもバイア州沖で1870年10月7日、英艦隊に乗艦して英国留学に向かう途中だった薩摩藩士、前田十郎左衛門が割腹自殺した記録がある。彼が「ブラジルに骨を埋めた最初の日本人」だ。
長澤は1852年2月生まれ、前田は1849年生まれと3歳しか変わらない。二人とも薩摩藩の洋学校「開成所」に入って英語を学んでいるので、知り合いだったかもしれない。
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4月14日晩、サンフランシスコ(桑港)の中華料理店「堅記」で現地の北カリフォルニア県人会メンバー10人と交流会をもった。北加鹿児島県人会の木村耕蔵会長(78、鹿児島県)は「最初は英語を勉強して1、2年で帰ろうと思ってきたんですが、イギリス人女性と結婚して住み着いて、今51年目です」とのこと。国際運輸の会社をおこし、現在は引退している。
「日系団体は30ぐらいある。うち県人会は鹿児島、沖縄、福岡、岩手、和歌山、神奈川など10ほど。鹿児島県人会のメンバーは40人、シリコンバレーが近いこともありIT関係者がけっこう入っている」とのこと。
近来日本人が中心のようだ。在サンフランシスコ日本国総領事館の調査による桑港周辺の在留邦人は約4万5千人を数えるという。つまり、この周辺だけで在伯の日本国籍者と同じぐらいが住んでいる訳だ。日本との距離の近さを感じる。日本からの進出企業は200社近くあり、北加日本商工会議所には250社の会員企業があるという。
「日系アメリカ人と言いますと、三世、四世の時代でもありますので、この人数を知るのは難しい」という言葉からは、邦人自体が十分に多いためか、二世以降の世代と距離がある感じがする。
木村さんから「今週末と来週末、桜祭りなんですよ」と教えられた。2週末で10万人があつまる桑港日系社会最大のイベントなのだそう。市の公式イベントに認定されており、場所は日本人街。茶道、華道、日本舞踊、書道などを見せる。日本から阿波踊りの団体がきたりするという。ちょうどいい日程なのに、残念ながら故郷巡りのコースには入っていない。(つづく、深沢正雪記者)