リオ市北部アレモン地区のファヴェーラ(スラム街)に、3~18歳の女児およそ50人が集まるバレー教室がある。
バレリーナのトゥアニイ・ナシメントさん(25)が、2012年にアデウスの丘で始めたプロジェクト「ナ・ポンタ・ドス・ペ」(足の先に、の意)の教室だ。
同プロジェクトはスラム街の子供の社会統合を目指すもので、サッカーなどが出来るスラム内で唯一の屋根付コートで練習を重ねてきた。
だが、このコートは柱と屋根はあっても、側面は網。鏡も手摺もない。おまけに、リオ市のスラム街ならどこでもそうだが、警察と犯罪者の銃撃戦などが起これば、いつでも流れ弾の被害に遭いうるという、危険と背中合わせの場所だ。
ナシメントさんは方々に手を尽くし、より安全な場所を確保しようとしたが、支援を得られずにいる間に、母親が自分の土地に家を建て、教室としても使えるようにする計画を放棄した。
そこで、その土地に自分達の手で教室を建てようと一念発起。無論、建設のためにはサンパウロ在住の知人の設計士の助けを借りたし、祖父や叔父も建設現場に足を運んでくれたが、資材運搬やブロックの積み上げ作業の大半は、ナシメントさんやバレー教室の生徒が行っている。
残念ながら、資金が尽き、建設作業は止まっているが、最近は、インスタグラムやフェイスブックでプロジェクトの事を知り、ナシメントさんや生徒達が国外で踊ったのも見た事がある外国の人達が、ユニフォームその他の品を寄贈してくれるようになったという。
生徒達も最初は裸足で踊っていたが、国外で活動が知られるようになった事で、匿名の個人からのお金や品物が届くようになり、必要な品も少しずつ整い始めた。
だが、国内でプロジェクトの事を知る人は少なく、資金集めのための募金を行っても、必要額の1割も集まらなかった。
教室完成には今少しかかりそうだが、「壁は建て上げたから、屋根を葺き、窓や扇風機を取り付けて、ペンキを塗れば、後は手摺と鏡、床張りだけ」と言う彼女の目はまだ、輝きを保っている。
ナシメントさんは、社会統合プログラムによって5歳からクラシックバレーを開始。スイスでのリズム体操の大会にもアレモン地区代表として参加した。
6人兄弟の長女で、家計を助けるため、2012年に踊るのを止めたが、たった一人で毎日、練習し続ける姿に興味を持った子供達が周りに集まり、3カ月で50人に達した時、子供やその家庭に変化が生じている事に気づき、プロジェクトを立ち上げた。
子供達にバレーを教える意義を聞かれたナシメントさんは、「私は黒人でスラム出身だし、子供達が通っている全ての悩みや苦しみを通ってきたわ。でも、バレーを通して、スラムの名前を国外にも肯定的な形で知らしめる事ができたの」と力強く語った。
ナシメントさんのプロジェクトは、ノーベル平和賞受賞者のマララ・ユサフザイさんが2018年にブラジルを訪れた時に訪問したプロジェクトの一つで、プロジェクトの関係者とマララさんが共にポーズをとっている写真が今も残っている。(7日付G1サイトより)