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島から大陸をめざして=在米 村松義夫(JAC日米農業コンサルタント)=第3号

カリフォルニア州サンタパウラの広大なオレンジ畑(Ricraider, From Wikimedia Commons)

カリフォルニア州サンタパウラの広大なオレンジ畑(Ricraider, From Wikimedia Commons)

 大学3年時、派米実習事業の紹介があり、即応募した。この事業は戦後の農村復興のため、政府農水省とカリフォルニア州政府との間で合意した事業であり、農村更生協会が主体となり、全国から農業後継者を知事推薦で選考し、米国カリフォルニア州の先進農家にて1カ年の農業実習が出来ると言う事業である。
 1951年に第1期生が派遣され、米国の「プレシデント・ウイルソン号」でサンフランシスコへ向かった、船内では英国のエリザベス女王戴冠式に出席する皇太子殿下(現在の上皇陛下)が乗船されておられ、船内では農村青年と親しく交流されたと聞いている。
 1963年4月、全国から選考された後継者、都道府県農業関係部署職員や普及員、農協職員の(85名)と学生(農大と日大生15名)が、最後の移民船でサンフランシスコ、サントス、ブエノスアイレスまで航行する「さくら丸」で渡米する機会を得た。
 14日間の船内生活では3名の仲間と船内新聞記者なり、南米に移住する単身者、家族、花嫁、そして船員へのインタビューができガリ版印刷で記事を書いた。
 金門橋、ベイ大橋を頭上に見つめ、サンフランシスコの港に上陸し、建物、道路、橋、町そのものに驚いた。第一印象は、よくぞこんな国と日本は戦ったものだ、と恐ろしさを感じた。カリフォルニア大学の農学部の責任者や日系団体の代表「国田敬三郎氏、日系初代米作農場主」の歓迎を受けた。
 また州立大学での米国や州農業の講義を受けたが、通訳のお陰でよく理解でき、その規模の大きさや大型機械化には更なる驚きの連続であった。
 州都のあるサクラメント郊外の農場が小生の受け入れ先であり、グレイハンドと言うバスで州都まで行き、そこから農場主に一生懸命練習した片言の英語で電話し、出迎えを依頼した。
 農場はモルモン教団の所有であり、ここで1カ年をお世話になる事になった。農場長を“ボス”と呼び農場全体を2時間掛けて案内してくれ、2400ヘクタールの大農場だと解って驚いた。日本では2400戸の農家に匹敵する面積である事が解り、更に驚きであった。
 翌日早朝、ボスと一緒にジープで農場を一時間掛けて廻り、労働者の長“ホーマン”に一日の仕事を指示する。農場主自らが鍬やカマを持って仕事する日本農家と違い、大企業の社長業としての大きな視点からの経営をしている姿に感動し、「農企業」と言う言葉を実践体験から学んだ。
 1カ年は瞬く間に過ぎ、翌年3月に「ウイルソン号」で帰国し、大学4年に復学した。派米実習で得た大農業経営の経験もさることながら、カリフォルニアの歴史を学ぶ大きな収穫も得ることが出来た。
 それは米国西部地区の開拓に欠かせないモルモン教徒の歴史であった事は、同じ農業拓殖を志す上で大きな収穫であり、お世話になった農場主やその家族、そしてモルモン教、米国に感謝した。(第4号に続く)