「本にして残せば、その記録は永遠に生きていく、というのが私の信念です」――日本では数少なくなってきた地方出版、その雄ともいえる秋田県の(有)無明舎出版の安倍甲社長(あんばい・はじめ、69、秋田県秋田市在住)が着伯した14日に来社した際、そんな印象に残る言葉を残した。
図書館や本屋の片隅にこっそりと置かれ、いずれそのテーマに関心のある人が現れ、なにかの機会に脚光を浴びるのをじっと待つ本。日本なら、たしかにそんなこともあり得る。出版一筋の安倍さんのそんな思想にロマンを感じた。
無明舎はブラジル日系社会と縁が深い。『ブラジル日本移民史年表』などのサンパウロ人文科学研究所の本を筆頭に、『ブラジル学入門』など中隅哲郎さんの著作、そしてニッケイ新聞の刊行物も出しており、かれこれ30冊も出ているという。間違いなく、日本で一番たくさんブラジル日系社会に関する本を出している出版社だ。
コラム子も90年代に東京の出版社をいくつか回って、日系人に関する本の企画を持ち込んだが、「暗い。地味。売れないからダメ」と断られた苦い経験がある。2000年代にBRICsの一角になってから経済ビジネス本は多数出版されたが、日本移民に関する本は依然として少ない。そんな中で、毎年のように刊行してくれる無明舎の心意気は、実に有難い。
学生運動、中退、出版社
創立は1972年と古い。安倍さんは「日本で最も古い地方出版の一つになりつつある」という。秋田大学教育学部の学生時代に創業、学生運動にのめり込み、中退した。
教育学部の前にあった白い洋館風の一軒家を借りて、《一階が古本屋と喫茶室と四畳半の事務所、二階が子供たちに勉強を教える塾という布陣で、「古書・企画・出版・無明舎」という看板をかかげて産声を上げました》と同舎サイトにある。
安倍さんは学生時代からアンダーグランド(地下)の演劇や映画、市民運動の講演会などのプロデュースやタウン誌発行しており、その延長線上に創業した。76年からは出版専業となり、秋田県を中心に東北の自然、歴史、伝承、風俗などを題材とした書籍を年間数十点出版し、現在までの43年間には1千冊以上を上梓している。
ブラジルとのつながりを尋ねると、大学時代の親友がリオに移住しており、それを訪ねて77年に2カ月間滞在したことを挙げた。
本格的に出版専業にすると決め、本づくりに迷いや悩みがあった折、「俺ってなんだろう。ブラジルで見たことは切実で、問題が深くて、大きかった。なぜ自分は秋田で本を出版しているのか」と考え込まされたという。
ちなみに「無明舎」という名前の由来を尋ねると、「今思えば、暴走族が壁に難しい漢字で落書するのと、同じような発想。若気の至り。難しそうな名前だとエラくみえそうぐらいのことですよ」とのこと。
そういわれても、まったく意味が良く分からないので、調べてみると仏教用語だった。ブッダは瞑想を重ねる中で、「人間が根本的に持っている無知」=「無明」から人生におけるすべての苦しみが始まると気付いた。「無明をなくすことで、人は心安らかに生きていける」と考えた。つまり仏教の根本原理ともいえる、深い言葉
だった。
衝撃のアマゾンとの出会い
その時、影響を受けた場所の一つが、角田房子著『アマゾンの歌』を読んで訪ねてみよう思ったトメアスー移住地だった。そこは、奇しくも今年9月に入植90周年を迎える。トメアスーには、エリザベス・サンダース・ホーム(神奈川県大磯)の卒業生8人が入植した聖エステファニー農場が、65年に開設されていた。同ホームは沢田美喜が1947年に設立した、進駐軍の米兵と日本人女性の間にできた混血児を預かる孤児院だ。
「彼らはボクと同じ年代でね。すごく意気投合し、ショックを受けた。それから彼らを追っかけ、記録を集め始めた」という。それに関する本を執筆するのかと尋ねると、「最初はそんな気もあったけど、ベチャとした人間関係にまでなってしまった。あまりに近づきすぎて、もう本を書ける距離感ではない」とも感じているという。
かれこれ10回はブラジルに足を運び、それぞれ1カ月とか1カ月半を過ごした。うち8回はトメアスーに2、3週間滞在した。今回も1週間行くと言う。
「仲が良かったサンダースホームの一人が去年、愛知県で死んだ。誰もまとめてくれないなら、やっぱり自分が書かなきゃとも思い始めている。年齢的にもブラジルに来るのは、今回が最後かもしれない。彼らの話をまとめるにあたって、今まで見聞きしたことを確認したいと思っている」と表情をひきしめた。
梓会出版文化賞の特別賞
「売れるはずのないブラジル移民関係の本を出し続けるのはなぜか」とぶしつけな質問すると、冒頭の言葉が返って来た。刊行した時にドンと売れて儲かるかどうかでなく、記録として残す価値がある内容かを判断基準にしているようだ。
「かつて上野英信さん(炭鉱夫の記録文学などを残した福岡の有名作家)が、地方出版と岩波書店をまったく同列に扱って原稿を出していたのを目の当たりにした。それを見て地方出版社側もがんばらなきゃと襟を正した」と振りかえる。
とはいえ「赤字経営では、そんな本は出せない。東北の本で黒字が出ているから、余力ができたときに出そうかとなるんです」。70年代に学生運動をやっていた人物だけあり、反骨精神を感じさせる言葉だ。
そんな無明舎は2017年度、地方出版としては珍しく「梓会出版文化賞」の特別賞を受賞した。在京200社の中小出版社が資金を出し合って作った協会で、その年、優秀な活躍をみせた出版社を表彰する。作品や著者を表彰する賞は多々ある中、出版社自体を表彰するのはこれだけという貴重なものだ。
2017年度は「2016年7月1日から2017年6月30日までに出版された新刊書籍が選考基準」となっているので、弊社が同舎から出した2冊目『「勝ち組」異聞─ブラジル日系移民の戦後70年』(17年3月10日刊)も、光栄なことに、その功績の一角をなしていた訳だ。
本紙レジストロ本3万円?
思えば、本紙が無明舎から出した1冊目『一粒の米もし死なずば―ブラジル日本移民レジストロ地方入植百周年』(2014年)などはとっくに絶版となり、元々は1900円で売り出されたモノが、アマゾン・サイトで中古本が8800円(15日参照)で売られているのをみて、たまげた。
新品だとなんと3万2866円だ!
ブラジルですら知らない人が多いレジストロ日系社会の歴史なのに、「いったい日本の誰が関心を持つのか?」。著者ですらそう訝っていたが、さすが日本には需要があるようだ。と同時に、それを刊行した安倍さんの目利きぶりを証明している。
この6月10日にも、弊社の3冊目『移民と日本人―ブラジル移民110年の歴史から』が同舎から刊行された。
すでにブラジルで販売する分を日本から郵送したが、当地に到着するのは8月頃になりそうだ。
この新刊は、日本という社会のどのような部分から、ブラジル移民が生まれたのかを、歴史的に解説したもの。25万人から始まって、現在ブラジルには世界最多の190万人の日系人にまで増えている。
これだけの「日本民族の大移動」があったにも関わらず、日本国内の学校で教えられる日本史や、日本人の関心からはその存在が煙のように消えてしまっている…。
☆
かつて本を販売するには、大出版社がマスコミに展開する宣伝力、営業が取り次ぎ書店に販売スペースを確保する力などがモノをいった。
でも今ではインターネットのアマゾンで本を買うのが、日本では当たり前の時代になった。ネット検索する上では、講談社も小学館も、無明舎もまったく同列。組織力や資金力とは関係なく、こだわった内容が込められた本が出せるかが、勝負なのかもしれない。(深)