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【日本移民の日2019】ビジネス版「現代の開拓者」=第一線で活躍する日本人=生き残り成功する秘訣を聞く

 ブラジルの日系社会で「開拓者」といえば一般に、未開の原生林を切り拓くなど農業で活躍した移民をイメージする。だが今日では、多くの若い日本人が様々なビジネスに挑戦し、新たに市場を開拓している。今回はそんな2人の「現代の開拓者」に話を聞き、現代のブラジルで日本人が生き残るビジネス術を探ってみた。


年商400万レアル=「理念と使命、ビジョンと情熱」

倉智さん(手前)と料理長の恩田快生さん(奥)

倉智さん(手前)と料理長の恩田快生さん(奥)

 倉智隆昌さん(36、神奈川県)は人気豚骨ラーメン店「博多一幸舎」のリベルダーデ店経営者。独立行政法人国際協力機構(JICA)の政府開発援助事業に関するコンサルタント業(BBBR社)や、南米食材の対日輸出業(ラテン・アリメントス社)と3つの事業を手がけており、最近ではラーメンの製麺販売という第4の事業も始めている。
 全事業で黒字を計上しており、売り上げは400万レアル、純利益率は15%に上る。「今後は製麺販売を本格的に稼働し、飲食業では一幸舎のフランチャイズ(FC)展開を行っていく。次にラーメン居酒屋を開店。売り上げ400万レアルを1千万にしたい」と力強く展望を語る。

BBBR社の様子

BBBR社の様子

 倉智さんは「日本に生まれ育ってブラジル移住を決め、かつ20~40代の若さで組織と資本をもっている人は数少ない」という。ブラジルで定住する日本人の殆どは現地企業に採用された人か個人企業主だそう。
 倉智さんはブラジルを「稼げない国」と呼ぶ。「起業する、オーナーの側にならないと大収益をあげるのは難しい」と自らの苦い経験を振り返る。
 倉智さんは、祖父母が建設事業を行う裕福な家庭に生まれたが、17歳の頃事業が倒産。家族は家や車を失い、高校も留年。父親が保証人だったことから一家転落を経験した。そこで初めて自分と向き合い「自分の能力を磨き、世の中に提供し、認められる」ことを目標に考えた。
 その後、日系ブラジル人と出会い、ブラジルという国を知り、南米の土地の雄大さ、生き生きとした生活に惹かれ渡伯を決意。19歳で高校を卒業、2年間資金を蓄え、21歳で訪伯した。
 渡伯後は飲食店で接客を学び、月刊誌『ピンドラーマ』(コジロー出版)を共同で立ち上げ、営業業務も経験。以後いくつか事業を興すがことごとく失敗。失意のうちにいったん帰国し、アルバイトで生計を立てて過ごした。
 そんな時、チリ産オリーブオイルの輸入事業の話を持ちかけられ、それを最後の挑戦と決めて取り組み、なんとか軌道に乗せた。それからはコンサルティング業を学び、ブラジルでコンサルティング事業を立ち上げた。

製麺の様子

製麺の様子

 ラーメン店経営については、ブラジルの税制が一般的に煩雑で高い中、FC展開により発生するロイヤリティへの税金が比較的低いことに着目。株式会社ウインズ・ジャパンから博多一幸舎のマスターFC権を得た。
 倉智さん曰く、事業を行う上での成功の秘訣は「理念と使命をもち、運と縁を引き寄せ、ビジョンと情熱があること。特にブラジルに関しては、チャレンジ精神と経験が重要」という。さらに「できるだけ早く行動を起こし、早い段階で失敗を済ませることが重要だ」と力説する。「20代前半での起業が理想。最初は必ず失敗するし、3回くらい失敗するのは普通」とも。
 さらに「失敗しても諦めずにブラジルに残れるか」が大きな分かれ道で、諦めて帰国する人が大半だそう。「自分のしたいことに強い気持ちをもち、それを押し通す意志の強さが必要」と説く。
 倉智さんの使命は「日伯の懸け橋になる」ことと「弱きを助ける」こと。また「従業員の物質、精神的両面の幸福の追求」と「イノベーション創出と社会への価値の提供」を理念としている。
 「自分の才能を最大限発揮し、世の中に貢献する」。これが倉智さんの信念だ。


弁護士として日伯を繋ぐ=「程良い図々しさも必要」

柏さん

柏さん

 柏健吾さん(41)は日本のTMI総合法律事務所(本社=東京都)所属の弁護士。同事務所の海外展開に伴い12年8月にブラジルに赴任した。
 現在はサンパウロ市に事務所を構えるCERCON BARRIEU FLESCH&BARRETO ADVOGADOSで勤務している。
 もう7年近くのブラジル滞在歴になるが「近い将来に帰国する予定」。移住ではなく出向としながらも、ブラジルの地を気に入っているそう。
 日本の弁護士については米英の大学に留学するのが一般的な進路の一つ。しかし柏さんは「留学よりも実務に携わりたい」と考え、当時サッカーW杯やリオ五輪を控え、BRICsの一角として盛り上がりを見せていたブラジルを選んだ。
 日本では主にM&A(合併、買収)の支援を行っていたが、現在はそれに加え、日本企業がブラジルに関わる案件があった際に、ブラジルの弁護士と協力して課題解決を行う。
 柏さんの強みは、ブラジルで長く活動している唯一の日本人弁護士であること。単に日本語を話せるというだけでなく、日本の企業文化を理解しているため、クライアントとのコミュニケーションを円滑に行える。
 弁護士業の好きなところは、案件によって扱う法律や作業内容が異なり、常に新しいことに接することだとか。
 ブラジルで成功する秘訣は「人間関係」と「程良い図々しさ」の2点ではないかという。柏さんはブラジルで2度事務所を移籍し、4月から現在の事務所に勤務している。それは知人や友人などのつながりから紹介があってできた。築いてきた人間関係がなければ今の事務所には来ることができなかったと語る。
 また躊躇せず他人に頼ることで切り拓ける可能性がある。それを逃さないためにも頼れる人には思い切って頼ることも重要だという。
 ブラジルでは言語の壁に加え、税務手続きの煩雑さや訴訟の多さなどから、一般的には事業を成功させるのは難しいと言われている。
 そのような環境で、日本人がブラジル留学や商業で挑戦するメリットについて、柏さんは「ブラジルは日本から物理的に遠く、治安も悪い。日本より環境が整っていない面もある。ブラジルでそれらを経験することで、距離感が小さくなりフットワークが軽くなる。より積極的に挑戦できるようになる」。
 また「日本は海外に比べ安定志向が強いように思う。海外では『なんとかなる』という考えで新しいことに挑む人を多く目にする。そこから様々な生き方を知り、価値観が広がり、精神的にも余裕ができる」と話した。
 柏さんも前任者がなく、出向先に知人もおらず、ブラジルでゼロから人間関係を築き、現在に至っている。「ブラジルに来ればなんとかなる」と柏さんは笑顔を見せた。