「あなたたちは日本文化という特権的な遺産に恵まれている。素晴らしい可能性を秘めたブラジルに、その日本文化を組み込むという特別な使命を担っている」―グローボTV局の元日本特派員マルシオ・ゴメスさんは、そう日系人の役割を総括した。ブラジル日本文化福祉協会は、ブラジル社会の著名人に日本文化の価値について語ってもらう初めての講演会「文化遺産(ブラジル社会における日本の価値観)」を6月25日夜、サンパウロ市リベルダーデ区の文協ビルで行い、3人の有名識者が熱く語った。入場料25レの有料講演会としては異例、約1100人が入場してほぼ満員となった。
「日本では金持ちと貧乏人が同じ公立学校に通っている。ポルテイロ(門番)とアパートの住民の子どもが同じ小学校に行くという、平等で教育が充実した素晴らしい社会だ」。昨年まで5年間も日本に特派員として駐在したゴメスさんが数々の取材を重ねる中で、最も興味深い思い出として残っているのは「日本の教育」だったと語り、自ら取材・制作した番組を流した。
その上で「日本の小学校で生徒に掃除をさせるのは、清掃人を雇うお金を節約するためかと思ったら、まったく違った。皆で使う場所やモノを大事にするという精神を教えるための教育の一環だった。その件に関する番組を放送してかなり反響はあった。だが、残念なことに『ぜひブラジルでも試してみたいから詳しく教えてくれ』という問い合わせは一件もなかった」とのべた。
ゴメス氏は「日本に駐在した5年の間、一度しか長期休暇でブラジルに戻らなかった。リオ市の植物園のそばに自宅があるんだが、帰ってすぐにバイクや自動車のクラクションなどの騒音が窓から流れ込んできて頭が痛くなった。思えば東京圏には4千万人もが住んでいるのに、ほとんどクラクションを聞かなかった。あの街は特別だ」としみじみ振りかえった。
ブルー・ツリー・ホテル経営者の青木智恵子さんが当日昼に突然体調不良となり、急きょ代役を務めたのは「日本食普及の親善大使」の白石テルマさん。「日系コミュニティとほぼ接触なく育った。だが日本料理を勉強し始めてから、そこに込められている歴史、哲学、精神を知り、柔道家だったお爺ちゃんやお父さんの振る舞いや言葉に合点がいくようになった。食を通してルーツを再発見した」とし、「料理は《道》だ。それを通して日伯二つの世界を生きることができ、とても幸せ」と語った。
「戦争中、お爺ちゃんは日本語の書籍を焼かなければならなかった。両親は一時期、日本人が多くいたタバチンゲイラ街に住んでいた。私の中には否応なく、そんな血が流れている。だから私の料理は、ブラジルの食材を使って、ここに適応させた、いわば『移民の日本食』だ」と締めくくった。(つづく)