この週末は、ブラジルの音楽などに多大な影響を及ぼしてきた人物が相次いで亡くなった。
最初はボサノヴァの創始者ジョアン・ジルベルト(88)だ。1931年6月バイア州生まれのジルベルトは、マリファナ中毒となって姉の家に居候していた時、バスルームに閉じ篭り、クラシック・ギターを弾きながら歌い続ける中で、サンバのリズムをギターだけで表現する「バチーダ」と呼ばれる独特の奏法を発明した。
1950年代中期にリオ在住の若手音楽家らによって創始されたボサノヴァは、サンバの影響が強いものとジャズの影響が強いものがある。サンバの影響を受けたボサノヴァ第1号は、アントニオ・カルロス・ジョビン(トム・ジョビン)作曲、ヴィニシウス・デ・モラエス作詞、ジルベルト歌・ギターの形で発表された「想いあふれて(Chega de Saudade)」(1958年)だが、この時はボサノヴァの呼び名は生まれてなかった。
新しい傾向、新しい感覚という意味を持つボサノヴァ(ボサ+ノヴァ)という名前は、ジルベルトらのアパートに集まるアマチュアの音楽家が参加した大学でのコンサートの案内がきっかけで広がったという。
ジョビンとモライスが企画した劇を基にした、1959年公開のブラジル/フランス合作映画「黒いオルフェ」の劇中曲にも多くのボサノヴァが使われた。
1963年にジルベルトと米国のサックス奏者スタン・ゲッツが競演した際のアルバム(64年発売)が大ヒット。ジョビン作曲「イパネマの娘」の大流行と重なり、米国にボサノヴァが浸透した。
1965年にグラミー賞受賞など、国際的に名前が知られており、2003年には70代で日本公演を行うなど、息の長い活動を続けていた。
同氏は6日にリオ市の自宅で死去。米国在住の娘の到着を待つ必要などで、葬儀は8日に市立劇場で行われ、ニテロイ市パルケ・ダ・コリーナ墓地に埋葬された。
6日には、テレビやラジオで活動し、音楽などに造詣が深いジャーナリストのサロモン・シュヴァルツマン(83)も亡くなった。ラジオのクルトゥーラAM、PM、テレビのクルトゥーラで長年、音楽家らを招いたプログラムなども担当。テレビのバンジニュースでも、担当番組で国際的に知られるブラジルの声楽家を招いてインタビューを行ったりもしていた。
同氏はリオ州ニテロイ出身で、25年前、サンパウロ市に転居。サンパウロ美術館運営審議会議員も務めていた。数年前から体調を崩しており、6日朝、アルベルト・アインシュタイン病院で亡くなり、7日に埋葬された。死因は公表されていない。