海外では世界最大級の規模を誇る「日本祭り」が第22回目を迎え、5、6、7日にサンパウロ市南部のサンパウロEXPOで開催された。怒涛の3日間、会場では各県人会の青年や婦人部が一丸となって働く姿が目に付き、来場者は19万2千人(主催者発表)と活気を見せていた。その一方、郷土食広場では各県人会から「思ったよりも料理が売れない」という不安を訴える声が聞こえ、売上は伸び悩んだ様子だった。
「去年の半分くらいしか売れていない。去年が良すぎて、同じくらい用意しちゃった。明日頑張って売らなくちゃ」――日本祭り開催2日目の夜、高知県人会婦人部の片山明子さんは苦笑し、疲れたように座り込んだ。
高知県人会は、婦人部を中心に約30人で準備をしていた。同県人会が渾身の力を注いで作る「鯛の蒸し焼き」は、「一つ作るのに1~1時間半蒸す。一日150匹提供できるペースで作っています」と語る。しかし今回は「去年の半分しか売れなくて余っちゃった。どうしたら良いか…」と明子さんが困った表情を浮かべた。隣りのブースの香川県人会の菅原パウロ農夫男会長も「うちの県人会も同じような状況」とため息をついた。
同日、北海道文化協会の上原政信事務局長は「昨日は悪天候だったし、今日も寒いからお客さんは早く帰り始めた。昨年、一昨年は午後6時半でも人はいたけど今年は少ない」と語る。上原事務局長は「食べ物の売上自体は悪くなかった」と言うが、人の少なさは実感していた。隣りのブース、沖縄県人会の上原ミウトン定雄会長も「人が少ないのはサッカーのせいでは」と持論を述べた。
一方、食事場所の拡大によって「席がない」という不満は改善の方向を示していた。今年5月に本紙へ「巨大商業化した日本祭りへの提言」を特別寄稿した中野晃治さんは、「昨年は座ってゆっくり食べることができなかったが、今回はテーブル数が多く、会場も歩きやすい。前回の問題は改善されている」と満足気な笑顔を見せた。
来場者の減少が叫ばれる中、高齢者を中心に長蛇の列を作っていたのは、今年で創立80周年を迎えたサンタクルス病院。同病院の石川レナト理事長は「今年は病院が80歳で傘寿(さんじゅ)なので、傘を無料で配布している」と語り、注目を集めていた。
6日午前11時からの開会式では、若き日系人の政治家、キム・カタギリ連邦下議が登場すると、会場内に歓声が響き渡った。山田彰駐ブラジル全権特命大使や、日本から来伯した勝俣孝明環境大臣政務官、野口泰在サンパウロ日本国総領事も出席した。
カタギリ連邦下議は、日本語で「皆さん、こんにちは!」と挨拶すると歓声が湧いた。昨年までは奈良県人会のボランティアとして日本祭りに参加していた同連邦下議。今年初めて日本を訪問したことや、日本のアニメや漫画、日本酒等が好きだと語り、「90年に出入国管理法が改定してデカセギブームとなり、来年は30周年になる。これまで以上に両国の友好関係が深まれば」と語った。
□関連コラム□大耳小耳
高知県人会の片山明子さんは日本祭りで、「今回手伝いに来てくれる人が増えた。これは三山ひろしが来たことが影響しているの」と語る。同県出身者で、サンパウロ郊外在住者からも「孫が参加してもいいか」という連絡があるそう。「やっぱり有名な歌手が来ると違う」と笑う。ブースの裏で野菜を切っていた女性はピエダーデ市から参加していた。同郷の日本人で有名人がブラジルに来ることで、県人の結びつきが強くなるのは頼もしい。他県人会も同じ機会を作ってほしいもの。
◎
日本祭りに初めて出展したという湘南日本語学園浜松校の北角秀和理事長(47、静岡県)は、進学を目指すための日本語学校を運営している。「今はベトナム、フィリピンなどの東南アジアの生徒がほとんど。ブラジル人はほぼいない」と語る。北角理事長は、別に自動車部品の製造会社も経営しており、リーマンショックの時に多くのブラジル人を解雇しなければならなかったという。「アルバイトをしながら語学を学び、大学や専門学校を出れば雇用条件は日本人と同じ。アジア人はそうやって日本に来ている人ばかり」だとか。「まずはシステムがあることを知ってほしい」とのこと。気になる人は、サイト(https://syonan-academy.jp/)まで。