大サンパウロ市都市圏にあるサントアンドレー日系連合会(喜納ジョルジ会長)は6月26日夜7時から、同市議会(ペドロ・ルイス・マットス・カニャシ・ボタロ議長)主催の「日本移民および子孫の日」慶祝式典を行った。傍聴席が満員となる約120人が詰めかけて喜びを共にした。
式典の冒頭、パウロ・セラ市長は「日系コミュニティは特別な存在だ。市と日系社会が強い絆に結ばれていることを、誇りに思う」と称賛した。
市吹奏楽団によって君が代とブラジル国歌、市歌が演奏され、具志堅洋子琉舞武道場の踊り子により、祝い曲「花ぬ風車(はなぬかじまやー)」、子どもたちによる「白雲節(しらくむぶし)」が披露された。
市議会を代表してトニーニョ・デ・ジェズス市議が挨拶し、「1930年代、サンパウロ州農産物のうち、日系人は棉の46%、絹の57%、紅茶の75%を叩きだしていた。約50種類もの新しい野菜や果物を持ち込み、我々の食生活を豊かにした。他国移民の定着率が30%程度なのに、日本人は9割以上が永住し、教育を重視するという気風をブラジルに植え付けている。日伯には移民を通して分かちがたい絆が生まれている。その111周年を祝いたい」と演説して、来場者から拍手を浴びた。
当日は2人が顕彰された。7つある同連合会傘下団体の一つ・沖縄県人会サントアンドレー支部長を2回務めた嘉陽宗助さん(79、かようそうすけ、うるま市)。6年間、カラオケ教師として25人に教えている。「顕彰されるとは思っていなかったので、言われた時は驚いた。これからも支部のために尽くしたい」と喜んだ。
もう一人は、野球やソフトボールの指導に尽力してきた山下先巨さん(ゆきお、78、二世)。12歳で野球をはじめ、1973年まで選手として活躍し、その後監督になった。現在も女性ソフトボールチーム「サンタスコロアス」で監督をし、モジ、スザノでも指導しているという。
伊良皆(いらみな)ウィルソンさんの挨拶に続いて、ブラジル日本文化福祉協会の会長代理として西尾ロベルトさんがマイクを握り、「13歳で渡伯した祖母は、様々な苦労をしたはずだが、一言もそれを僕に語らず、いつも楽しい話ばかりをしていた。むしろ母や親戚から祖母が苦労した話を聞かされた。それが移民の生きざまだと思う。そうやって先人が生きてきた足跡として、日本文化が残ってきた」と語った。
最後に、喜納連合会会長が閉会の言葉をのべ、一行は会場をABC文化協会会館に移して祝賀晩餐会となり、約200人で盛大に語り合いながら祝った。