来週の木曜、13日でエドゥアルド・カンポス氏が飛行機事故でこの世を去って5年となる。そして、ブラジル政界での彼の不在の痛さを改めて痛感せざるを得ない日々が続いている▼それ以降に起きたことがあまりに激動の連続だったために、もう今となってはかなり古いことのようにも思われるので、改めてカンポス氏のことを振り返っておこう。カンポス氏は1965年、ペルナンブッコ州レシフェで生まれた。祖父は軍政に反抗して政治生命を奪われた元レシフェ市長で、14年間にわたってアルジェリアに亡命した後に、軍政復帰後の90年代にペルナンブッコ州知事にまで返り咲いた反骨の政治家ミゲル・アラエス。その祖父の血を引いたカンポス氏は26歳でペルナンブッコ州議、30歳で下院議員となると、ルーラ労働者党(PT)政権の2004年に39歳の若さで科学技術相に就任する早熟の出世を果たした▼元が左翼政治家ながらも、経済に明るく、企業家の受けも非常によかった。ルーラ氏からも、同氏と対立関係にある民主社会党(PSDB)のカルドーゾ元大統領からも高く評価されていた▼そんなカンポス氏は2014年、ペルナンブッコ州知事を2期つとめた後、満を辞して大統領選に臨んだ。「PTでもPSDBでもない、第三の道を政界に築きたい」。それが同氏の望みだった。その2党の候補、ジウマ元大統領やアエシオ・ネーヴェス氏に比べ知名度は圧倒的に低かったカンポス氏ではあったが、一方で、国民の人気は高いながらも一匹狼に陥っていたマリーナ・シウヴァ氏を副大統領候補に迎えるという策士ぶりも見せた▼14年8月初旬の時点の世論調査でカンポス氏の支持率は9%で3位。2位のアエシオ氏は23%と差はあった。だが、キャンペーンでもうひとふんばりすれば、もしかしたら2位で決選投票に滑り込めるかも・・・と思われていた矢先に事故は起こった。8月13日午前。前夜のテレビ出演後にリオからサンパウロ州に向けて飛び立ったカンポス氏を乗せた小型飛行機はサントスで墜落。同氏はまさかの帰らぬ人となった▼選挙は結局、マリーナ氏が代役をつとめ、同情票も手伝って決選投票に行けそうな雰囲気にもなった。だが、一次投票で3位に落ちていたアエシオ氏に土壇場でうっちゃられて敗れた。選挙そのものはジウマ氏が僅差で当選した▼だが、その後、ジウマ氏はラヴァ・ジャット作戦でのPTの失墜とそれに伴う経済破綻で16年に罷免の憂き目にあい、アエシオ氏は17年に収賄の様子を録音・暴露され瞬く間に失墜。ブラジル政界は大きな混乱に陥った▼結局、18年の大統領選でこの混乱に乗じて勝利したのは現在のボルソナロ大統領。だが、28年の下議生活で通した法案3つの同氏が、軍人や極度の福音派、極右志向の人のみに易を与えうる大統領令や大臣人事を行なっては国民に混乱を巻き起こし、経済関係も財相スタッフと議会に丸投げ。さらには環境問題の無視で国際的に批判の目にさらされるなど、政界の混乱は静まるどころか、ますますひどくなっている▼「こんなときにカンポス氏がいてくれたら」。コラム子はそう思わずにはいられない。同氏さえ生きていれば、国民の一部がどんなにネット上で面白半分にボルソナロン氏を盛り立てようが、現実的に物を考えられる国民が「妥当な選択肢」として白羽の矢を立てることが出来たのに。しかも、「ポスト二党政治」に着目し、誰よりも早くその継承者になろうとしていたのが彼だったのに。そう思うと、なおさら悔しさがこみあげてくる。(陽)