リオ州などを管轄下に置く連邦第2地域裁が14日、アントニオ・ワニエル・ピニェイロ・リマ退役軍曹が軍政下で犯した女性強姦や拷問などの罪での起訴状を受理したと14、15日付現地紙・サイトが報じた。
軍政下での刑事犯罪は1979年制定の恩赦法で不問に伏されてきたため、軍人への起訴状受理は初めてだ。リマ氏への起訴状はリオ州ペトロポリスの連邦地裁に提出されたが、恩赦法と時効を理由に棄却され、連邦検察庁が上告していた。
リマ氏を告発した女性は反体制派の活動家で、2015年に死亡したイネス・エリエネ・ロメウ氏だ。学生時代からの活動家だったイネス氏は、ヴァングアルダ・アルマダ・レヴォルシオナリア・パウマーレスという極左集団のリーダーとされ、ブラジル駐在のスイス大使誘拐に関与した疑いでサンパウロの陸軍秘密警察に逮捕された。
同氏はその後、1971年5月8日にペトロポリスの「死の家」に移された。「死の家」は政治犯を内密に軟禁、拷問した場所の一つで、イネス氏以外の政治犯、少なくとも18人は全員殺害された。彼らの遺体は見つかっていない。
イネス氏は「死の家」での唯一の生存者で、軍政下で捕らえられ、最後に解放された人物でもある。同氏は「死の家」で3カ月余り軟禁状態に置かれ、拷問にもあった。だが、スパイ役を引き受けたふりをして、その後の拷問や死を免れた。
同氏は1979年にブラジル弁護士会(OAB)に体験を語っており、1981年に「死の家」を告発した。2011年に創設された国の真相究明委員会でも詳細を語っている。供述によると、彼女は2度強姦され、丸裸のまま台所を掃除させる、下品な冗談やわいせつな話を繰り返し聞かせるなどの辱めも受けた。
OABでの供述は、ペトロポリス市の真相究明委員会が2016~18年に行った調査の報告書にも収録された。リマ氏は2014年に検察庁の捜査に応じているが、その際、自分は「死の家」の管理者だったとし、イネス氏と共に過ごした事は認めたが、強姦や虐待は否定したという。
第2地域裁は、リマ氏の行為はブラジルも承認する国際刑事裁判所ローマ規定やアメリカ人権条約が恩赦や時効の対象外とする「人道に反する犯罪」だと判断。判事投票2対1で起訴状を受理した。
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