60年前に32人から始まったサンパウロ日伯援護協会(与儀上原昭雄会長)は、今では2千人を擁すコロニア最大の組織に成長した。そんな援協は創立60周年記念式典を12日夜、サンパウロ市議会で執り行った。歴代の援協役員、日系団体代表者、野村アウレリオ・サンパウロ市議、日本国際協力財団(秋山進理事長)の代表者ら約300人が列席。援協の発展を盛大に祝した。
与儀会長は「戦後移民の支援を目的に職員と理事32人から始まり、2千人以上の職員を擁するまでに発展をとげた。創立60周年を迎えられたことを大変嬉しく誇りに思う。この機会に多大な支援、協力により支えてくれた皆さんに感謝したい」と出席者に謝辞を述べた。
サンパウロ市議会からは「医療・福祉を通して日系社会、ブラジル社会の発展に寄与した」として援協に表彰状が贈られた。与儀会長は野村・サンパウロ市議から表彰状を受け取り、笑顔を見せた。
サンパウロ市議会からは日本国際協力財団にも「援協への支援を通じ、日系社会及びブラジル社会の医療・福祉の発展に寄与した」と感謝状が贈られ、秋山財団理事長が受け取った。
記念式典では、今日まで援協に多大な貢献を行った関係者らへ表彰も行われた。
20年以上にわたり役員を務めた尾西貞夫さん、長年理事を務めた井上健治さん、地区委員会を30年以上務め上げた玉田伯夫さん、その他医師や専門技師らに感謝状が手渡された。
職員として36年、その後は役員として現在まで14年、50年にわたり援協を支えてきた山下忠男さん(85、京都府)は「当初からは予想できない程、大きな組織になった。ブラジル社会に受け入れてもらって育ったのだから、今後はブラジルに恩返しをしていかなければならない」としみじみ述べた。
1959年に戦後移住者の最盛期を迎え、その受け入れ支援のため、日本海外協会連合会(現JICA)を中心に、日本移民援護協会(現援協)は設立された。当初は32人の職員・理事で構成され、移住者受け入れ業務を行っていた。
88年には日伯友好病院を開院。その後は故・神内良一氏(日本国際協力財団創設者)の約11億円に上る支援などもあり、医療機関、福祉施設を開設・拡大した。
現在では2千人以上の職員を擁し、同病院はブラジル国内の医療機関を評価する非営利団体「国家認定機関(Organização Nacional de Acreditação=ONA)」から最高評価を受けている。
援協から表彰を受けた受章者は以下の通り(敬称略、五十音順)。
【個人】井上健治、内村俊一、大瀧多喜夫、尾西貞夫、小畑エミリオ、加藤英世、菊地義治、税田清七、坂和三郎、佐々木恂(ささきまこと)、佐藤良隆、鈴木厚生、玉田伯夫、壇定則、辻雄三、土井セルジオ、戸田マリオ、藤島幸、藤村隆次、南利実、森エリオ、森西茂行、森政雄、矢島カルロス、安武誠、山本恒夫、吉田繁
【法人など】国際協力機構(JICA)、在聖日本国総領事館、日本国際協力財団、パナソニックブラジル、ブラジルトヨタ、ブラデスコ銀行、ホンダサウスアメリカ
与儀会長に未来展望を聞く=より良い医療福祉の手本に
60周年の節目を迎えた援協は今後、どのような発展を見せるのか――与義会長に今後の展望を聞いた。
福祉分野については、援協が率先して施設に入所せず日帰りで通える介護施設、デイサービス(通所介護)を導入し、日系社会全体に広めるべきとした。
ブラジルは将来、現在の日本のように高齢化を迎える。そこで特別養護老人ホーム(特養)の必要性が高まるという。
援協ではあけぼのホームが特養にあたるが、特養は入居者あたりの職員数も多く必要とし、経済的に余裕のない入居者からは利用費満額を徴収していない援協にとって、負担の大きい施設だ。
したがって援協は解決策として、デイサービスを導入し、高齢者の家族や日系社会全体で高齢者を支える仕組み作りを構想している。
高齢者の家族は、朝晩は面倒を見て、昼間はデイサービスの施設に預ける。将来的には、昼間にあまり使われていない県人会会館も施設として利用するアイデアもある。
援協はデイサービス施設を定期的に巡回し、指導を行い、日系社会全体にデイサービスを展開されることを目指す。
与儀会長は「家族を施設に預けたままにするのではなく、毎日接して、温かく見守ってほしい。その方が高齢者も幸せに過ごせて、精神的な健康にもつながる。入居者も援協も経済的負担を小さくできる。援協は施設を提供する団体ではなく、高齢者や家族の幸せを支える団体でありたい」と語った。
医療分野については、日伯友好病院の好調な経営状況により、福祉施設の赤字を補っている現状。与儀会長は「財政状況が良好な今のうちに、設備など基礎を強化し、今後不測の事態が起きても自立して経営できるようにしたい」と述べた。
同病院は月によっては1千万レアル以上の黒字を計上。しかし今の医療業界では、米国など海外の医療機関が、ブラジルの医療機関を次々と買収し、ブラジル国内でグループ化、利用者の囲い込みに乗り出している。
グループ化された医療機関では、機器や医薬品を一括大量購入することで費用を抑えている。援協ではコスト面で競合するのは難しく、与儀会長は「サービスの質で対抗したい。今では情報がすぐに手に入るため、医療機関の利用者は、人間的な温かみのある援協のサービスを求めて来る」と自信を見せた。
昨年立ち上げた日伯友好病院の新病棟建設プロジェクトにも言及。地上6階地下3階の新病棟を新設し、現在240床の病床を100床増やし、病院内の部署や設備の効率化を目的とした配置転換なども行われる。
さらに自閉症児療育施設(PIPA)について、他州の政治家から「同様の施設を作ってほしい」と要望があったと明かす。とはいえ現在、活動は主にサンパウロ州内。「州外でのサービス提供は難しい」と考えている。
ただし、その要望を受け、日伯友好病院と隣接する形で自閉症児療育施設本部を建設予定だ。将来的には他州の福祉事業関係者が、その本部に視察を行い、加えて他州へ定期的に指導者を派遣する形で、州外にも福祉サービスを伝えていくことを視野に入れているという。
「援協を日系社会、ブラジルのより良い医療福祉の手本にしたい」と与儀会長は展望を明かした。
「南米日系人の恩人」神内良一氏=財団からの長年の支援に感謝
援協だけで約11億円の私財を投じ、影から支えてくれた大恩人、神内良一氏。南米各地の福祉団体でも同様の寄付や支援を重ね、「南米日系人の恩人」ともいえる存在だ。そんな神内氏が設立した日本国際協力財団から、秋山進理事長(69、神奈川県在住)、渡辺光哲副理事長(67、東京都在住)が11~15日に来伯、援協の各施設を視察した。
神内氏は1990~2013年にわたり、援協に約11億円を寄付。日伯友好病院の増築や機器購入、サンパウロ市リベルダーデ区の援協本部ビル建設などの資金に充てられた。
秋山理事長は今回で4回目の訪伯。「徐々に職員の対応が良くなったと思う。日本の丁寧なサービスが行われている」と感心した様子。
渡辺副理事長は神内氏の甥にあたる。88年にも神内氏に同行して来伯。当時、日伯友好病院は開院間もなく、整備もまだ十分に整っておらず、同病院の周辺も今より建物が少なかったそう。現在の立派な同病院の様子に「大変感激した」という。
秋山理事長は12日の記念式典で「援協を築きあげた皆さんの熱意、苦労は筆舌に尽くしがたい。神内氏は過去にブラジル移住を考えたことがあり、移住した一世の方を思いやり、支援を始めた」と神内氏の逸話を紹介。
「現在、日伯友好病院はブラジル屈指の優良な病院に成長し、援協は順調に発展してきたが、今後の課題もあるかもしれない。その時は激動の111年を生き抜いた日系人の勤勉性、結束力、英知を結集して乗り越えてほしい。そして高齢者の方が安心して暮らせれば、神内氏にとっても喜ばしいことだ」と力強く語った。