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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(140)

 山本は1920年代、三菱企業がつくった東山農場の専務だった。蜂谷は初期の移民で当時は日本品の輸入業者だった。宮腰は1937年、日本政府の移民及び拓殖を促進する海外興業株式会社(KKKK)の社長として渡伯した。山下はコチア産業組合の重要な地位にあった。
 このグループが特に強調したのは、布告書の序文にある次の箇所だった。
「移住したり、国交の途絶えた国にいる臣民の中に危険行為を行う可能性があることにかんがみ、この書を配布する」
 この箇所を読んだ正輝は嘲笑った。
「これは警察がやったことに違いない。自分たちの行為に警察の許可を受けるなど、見えすいたやり方だ。警察がやったと白状しているようなものだ。おまけに、日本政府の名を借りるとは。クソ、くらえ! われら日本人が愛国精神を抱くことを恐ろしがっているのか? それが『危険行為』だとでもいうのか?」。そして、「こんな作り話を信じろとでもいうのか? どうして、こんな書類が世界中を回り、いろんな言葉に訳されなければならなかったんだ? どうして、こんなに時間がかかったんだ? きっと、俺たちを騙すためだったに違いない」という、結論に達した。
 この情報を受け入れなかったのは正輝一人ではない。ほとんどの移民が騙されていると思った。
 天皇の終戦詔勅は確かに不明瞭で、誤って解釈されるところもあった。正輝は仲間に最初の文節をゆびさして読んだ。
「深く世界の大勢と帝国の現状にかんがみ、非常の措置をもって時局を収拾せんと欲し、茲に忠良なるなんじ臣民に告ぐ」こう書いてあるけれど、どこにも日本が負けたなどといっていない。
 国が戦時状態にあれば、「非常の措置」をとるとか、9節にある「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び」もあたりまえのことだ。「戦局かならずしも好転せず」これは敗戦の意味ではない。なにか思いもよらぬ激戦があったり、敗れたりしたのだろう。どんな国でも最終的勝利を求めるにはいくつかの戦場で敗れることもあるだろう。正輝はそう確信した。
 詔書の先の方に「敵は新たに残虐なる爆弾を使用し、しきりに無辜を殺傷し」とあるが天皇は国民の生命と権限を保持するために「皇祖皇宗の神霊に謝せんや。これが朕が帝国政府として共同宣言に応じしむに至れるゆえんなり」となったのだ。天皇陛下のような真の日本人が敗戦のために命を捧げるだろうか?
 勝つことによってはじめて先祖の前に胸を張って立つことができるのだ。
 正輝は沖縄で身につけた日本精神の教訓を思い、そう解釈した。
 そして、「天皇がいまだご存在なら、それこそが日本が勝った証拠なのだ」という結論に達した。本物の詔勅により、疑問が生じるのではないかと心配していたが、詔書がいままでの考えを裏付けることになった。
「日本は勝ったのだ」
 そのために認識派の説明など必要ない。彼や仲間にはすでに分っていたことなのだから…。
 正輝は以前にまして、日本の政治問題について論議した。マッシャードス区の隣人や朝市の同胞たちと熱心に話し合った。母国が勝ったことをますます確信し、いつもより大げさに表現した。アララクァーラの仲間ばかりでなく、ほとんどの日本移民が同じように考えた。日本の勝利はコーヒーの木を焼く霜の広がり以上のスピードで移民たちに広まっていった。