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サンパウロ市=山下忠男さんに名誉市民章=計50年間も援協に貢献

菊地さん(左)からプレゼントのアルバムを受け取った山下さん(中央)、妻の雪子さん

 サンパウロ市議会は6日夜、山下忠男さん(85、京都府)に名誉市民章を授与した。野村アウレリオ市議の推薦。山下さんはサンパウロ日伯援護協会の職員として36年間勤め上げ、退職後も役員として現在まで14年間貢献するなど、計50年も援協に尽くしてきた。
 サンパウロ市の援協本部ビルで授与式は行われ、山下さんの親族、同市議、援協役員、野口泰在聖日本国総領事らも出席。ジョアン・ドリア州知事、ブルーノ・コーヴァス市長からの祝電が披露され、出席者は功績を振り返り、思い出話で盛り上がった。

受章した山下さんと親族ら

 授与式では「山下さんは僕のパートナー」と語る菊地義治元援協会長が「山下さんの企画力、実行力は素晴らしい。彼の尽力で、援協は今日の安定した地盤を築けた」と山下さんをたたえ、サプライズで、山下さんの思い出の写真が詰まったアルバムを手渡した。
 現在の福祉委員長を務める園田明憲副会長は「山下さんに『自分が引き継ぐから任せてほしい』」と伝えた。「山下さんが安心できるようにしないと」と改めて気を引き締めた様子。
 山下さんは「ブラジルに来て良かった。今ではひ孫も立派に育っている。今日も親族が20人程来てくれた」としみじみ喜びを語った。妻の雪子さん(83、二世)も「2人で一生懸命やってきた。受章はとても嬉しい」と笑顔を見せ、夫とアルバムをめくった。

山下さんと妻の雪子さん(中央)、推薦者の野村サンパウロ市議(右から3番目)ら

 山下さんは1934年に京都府で生まれ、サンパウロ州リベイロン・プレット市で農業を営んでいた親族に誘われ、夜間高校を中退して53年に19歳で単身渡伯した。
 しばらくは親族の農業を手伝うも「面白くない」と辞め、サンパウロ市の日系ガソリンスタンドや、リオ州で美術商の手伝いで生計を立てた。その後親族の農場へ戻って10年程働き、経営者の娘の雪子さんと結婚。貯金で自分の農場を購入したが失敗し、再びサンパウロ市に出た後、援協の職員として就職した。


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受章の挨拶を述べる山下さん

 サンパウロ市議会から名誉市民章を授与された山下忠男さんに、援協の昔話を聞くと「昔の援協は大きな病院を持っていなかったから、無料で診察してくれる公立病院に日本人を連れて行くため、朝4時から病院の受付に並んだ」、「自殺してしまい、無残な状態になった日本人の死体の身元確認に行ったこともある」との話も。近代的な病院を持つ今の援協からは想像もできない時代があったようだ。
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 山下さんは援協の職員に就いたのは、妻の雪子さんに「子どもを養うために安定した仕事に就いて」と言われたためで、最初は末の子どもが中学校に進学するまでの3年で辞めるつもりだったとか。だが当時、15人程しかいなかった職員の中でポ語を習得していたために、役所との連絡など様々な業務を任され、辞められなくなり、そのうちに「渡伯し苦労する日本人を支えなければ」という思いが芽生え、気付けば援協に尽くして50年が過ぎた。山下さんの体験談には興味深い歴史が盛りだくさんだ。