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アマゾン90年目の肖像=「緑の地獄」を「故郷」に=(8)=移住地経済の要CAMTA

CAMTAの建物

 トメアスー文化農業振興協会(ACTA、文協)の会館前の道路を挟んで、トメアスー総合農業共同組合(以下CAMTA)の建物がある。こちらの入口前には、南米拓殖株式会社の初代社長、福原八郎の銅像が設置されている。54年のトメアスー移住地開拓25周年祭で、当時のトメアスー産業組合(現トメアスー総合農業共同組合)によって建立されたものだ。

南拓初代社長の福原八郎の銅像

 福原八郎は、鐘淵紡績株式会社の取締役だった人物だ。南拓を主導した鐘紡の武藤山治社長によって派遣された、アマゾン地域開発のための調査団で団長を務めた。
 その後、28年8月11日に南米拓殖株式会社が設立すると、社長に就任。ベレンに住み、自ら開拓事業の陣頭指揮に当たった。しかし風土病による犠牲者の続出や窮状に加え、経営不振に。福原は自己の責任を認めて陳謝し、慰謝金を提出し、失意の内に帰国した。
 初期移民の犠牲と窮状から評価の分かれる人物ではあるが、未開のアマゾンに日本人移住地を建設した先駆者だ。入植者にもその思いがあったため、こうして像が建てられたのだろう。
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 CAMTAのロゴがついた制服を着た従業員に案内され、理事長室に入った。日本人入植者が始めたCAMTAには現在、176組合員が所属、173人の従業員を雇用している。そこで理事長を務めるのが、乙幡(おっぱた)敬一アルベルトさん(53、二世)だ。
 「CAMTAは31年に作られた『アカラ野菜組合』が前身。ブラジル公認の組織になったのは、49年からなんだ」。乙幡理事長は、人懐こい笑顔でCAMATAについて説明する。

乙幡敬一アルベルト理事長

 経済的な苦境の打開策として31年に作られた「アカラ野菜組合」は、蔬菜(そさい)販売による移住地経済の自立を目的として組織された。野菜販売が軌道に乗り始めると、組織を改正し「アカラ産業組合」と改称。
 戦争中はパラー州政府によって活動を停止させられ、青壮年層の有志17人が「アカラ農民同志会」を結成し、州政府からの奪還を目指して果敢に交渉した。
 同志会メンバーの必死の努力により、多くの紆余曲折を経てアカラ産業組合の運営権を取り戻した。その後、49年9月1日にトメアスー港の地名にちなんで「トメアスー産業組合」に改称、同年9月9日にブラジル公認の産業組合となった。
 乙幡理事長は、49年にCAMTAが設立してから11代目の理事長となる。昨年の4月から理事長を務めるが、それまでは文協で会長を務めていた。立場を替えてコロニアに貢献し続けている。
 「CAMTAの理事長になってから頭を抱えているんですよ」と乙幡理事長は机の上で手を組みながら、「正直言って、CAMTAでは農業者本人が経営を担当しているので、営業に関しては素人も同然。うまくないんですね。だから今の状態を変えなきゃいけないと思って改革を進めている」と語る。さらに販路の開拓や新規会員の増加など、課題は山積みだ。(つづく、有馬亜季子記者)