「ここが舗装されていないので車の故障や事故も多い。パラー州政府は今年度の予算に組み込んでいると言いますが、動きはないですね」。車で第二トメアスー移住地に向かう途中、運転する林さんからそう説明された。
第二トメアスー移住地への道は土がむき出しだ。アマゾン移民90周年、第二トメアスー移住地が建設され50年以上経つが、一度も舗装されたことがない。ガタガタと揺れて砂埃が舞うと後ろを走る車の視界を奪うので、事故が多いのも頷ける。
同地には今も日系人が14家族住んでおり、毎日未舗装の道を車で走りトメアスーの中心地に出て行くという。もちろん、この道が舗装されて喜ぶのは日系人だけではない。東へ続く道はパラゴミナスという町に繋がっており、舗装されると行き来し易くなる。さらにJICAの旧熱帯農事試験場だった場所に、現在EMBRAPA(農牧研究公社)がアブラヤシの苗の母樹園や試験場を計画している。
7月末時点で、同地の道路に舗装工事が始まる様子は見えなかった。乾季の今のうちに初めておかなければ、12月からは雨季になる。舗装は急務だ。
林さんは、「一度雨季の直前に工事を始めて、舗装が中断されて莫大な金額が水の泡になった。予算に組み込まれているのであれば、早く始めてほしいですね」と切実な思いを語った。
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ピメンタ景気の黄金時代から一転、74年の異常降雨によりピメンタに根腐れ病が蔓延し、移住地の経済に大打撃を与えた。収穫の減産が続き、再び移住地を地獄へ突き落した。そのショックからから立ち直らせたのが、アグロフォレストリー(森林農法)だ。
アグロフォレストリーは、複数の作物を重層的に一つの畑に植えることで、自然に近い環境を残しながら生産する。アマゾン生態系と共存しながら農業が行えるわけだ。当時のCAMTA理事で東京農業大学出身の故・坂口陞(のぼる)さんらが、インディオの庭の植生を参考にして考え出し、商品作物に適応したと言われる。
今回取材を行った農場は3か所。昨年来訪した眞子さまを農場に案内した峰下興三郎さん(80、満州生まれ)、アブラヤシをアグロフォレストリー方式で育てる先駆的な取り組みを行っている菅谷クラウジオたかひろさん(42、二世)、アグロフォレストリーの先駆者で技術普及にも熱心な小長野道則さん(61、鹿児島県)だ。
CAMTAに所属する組合員で3本の指に入る大農家、小長野さんは850ヘクタールの土地を所有し、その内230ヘクタールが農場だ。農場では、胡椒、カカオ、アサイー、クプアスー、ピタイヤなどの熱帯フルーツを生産している。また、マホガニーを育てており、「将来のためにマホガニーの植林を考えている。パラー州中に広めたい」との意欲も語っている。
「年中何かが収穫できる状態。アグロフォレストリーを導入して、トメアスーの生活は格段に良くなった。他の郡や市の長がよく見学に来るんですよ」。
ちょうど見学させてもらった7月はカカオの収穫時期で、労働者80人が働いているという。今年は雨量が多く、小長野さんも「まるで74年の異常降雨のようです。例年と比較してカカオの豆が小さい。収穫量は70%くらいになりました」と苦戦しているようだ。
だが、数々のアイデアでトメアスーの農場の先駆者的役割を担ってきた小長野さんは「ショベルカーを買って、排水対策をしようと思っています。まず自分がやってみて、うまく行ったら、周りの農家にも広めたい」との考えを語る。話すとポンポンとアイデアが飛び出す小長野さんは「昔は農家じゃなくて先生になりたかった」と言っているが、この仕事は天職だったようだ。
CAMTAで乙幡敬一アルベルト理事長から胡椒の国外市場の脅威を聞いた通り、小長野さんも「ベトナム、マレーシアでも胡椒をブラジルの半分のコストで作っている。何かしなければ対抗できない」と語る。
そこでコストを下げるため、新しいやり方に取り組み始めた。「すでにアグロフォレストリーの状態に育っている畑に、新たに胡椒を植えて栽培するんです。32年前に植えたクプアスーの横に胡椒を植えたんですが、果樹の落ち葉が有機質になり、積もり積もって土壌が良くなった。胡椒は順調に育っています。このやり方だと整地、肥やし、草取りが必要ないのでコストが50%以下になるんですよ」。
昨年3千本植えた胡椒は、見事に育った。今年も苗を植え、実績を残せば周囲もそのやり方を見習うはず。その貢献度の高さから連邦政府に「地域発展国家表彰」を授与されている小長野さんだけに、今後も農業の先駆者として技術の開発普及に取り組んでいくだろう。
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最後の取材で訪問したのは、故・新井範明さんが保全した原生林だ。林さんに案内してもらい、遊歩道を歩く。この地域には原生林が少ないため、ここには観光客だけでなく研究者も訪れるという。
アマゾンのジャングルというと密に生い茂った草木で歩けないイメージを持つ人も多いが、「下草はなくて、木が細く長く伸びて後から太くなるんです」と林さんは説明する。太い木の中には、樹齢数百年のものもあるという。やがて落葉や枯木が堆積し、分解されて深い土壌を形成する。
この森を保全した新井さんは、今年3月9日に亡くなった。妻の慶子さんは「派手な事が嫌いで、地道に山歩きするような人。写真ではいつも笑っているのよ」と、几帳面に収められたアルバムをいくつも出して見せてくれた。
非常にマメな人物だったようだ。父亀吉と母ウメ子がトメアスー日本語学校の教師を務めた際に作った校歌の楽譜や、79年にドラマ化された、仲代達也主演の「アマゾンの歌」(角田房子著)のロケスケジュールの冊子など、貴重な資料を全て保管している。
新井さんの人柄は住む家にも表れている。57年に建てられた家は、トメアスーの中でも古い方だ。自分で土台を作った家に生涯住み続け、今も妻の慶子さんが住んでいる。物に愛着を持ち大事に使い続けてきた。
林さんに原生林を案内してもらっている際、何故新井さんが原生林の保全を始めたのか聞いた。新井さんは「自然と共に生きる」という考え方の持ち主で、それを体現した一つが原生林の所有だった。
その一貫した考え方は、自身が祭典実行委員長を務めたアマゾン移民70周年時のテーマ「アマゾンの自然と調和して」にも表れている。
移住して90年。時にはアマゾンの自然の脅威にさらされ、その度に工夫を凝らして「緑の地獄」を「故郷」にしたトメアスー移住地の人たち。それを象徴した生き方だった。(つづく、有馬亜季子記者)
□関連コラム□大耳小耳
トメアスー移住地で見学させてもらった菅谷クラウジオたかひろさんの農場は、モノカルチャーが主流であるアブラヤシをアグロフォレストリー形式で育てる先駆的な取り組みを行っている。ブラジルを代表する化粧品メーカーナチュラ(Natura)にも協力しており、生態系、肥料、雨量、温度など細かいデータを取っている。このやり方は「世界でもここだけ」だそう。アブラヤシは森林を伐採して植えるので、インドネシアでは動物の生息地が失われ、オラウータンが絶滅の危機にさらされたが、このやり方であれば生態系が失われない。今後世界中でモデルとなる取り組みとして、注目を集めているようだ。
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故・新井範明さんが残した貴重な資料の中に、米国のビル・クリントン大統領から戦時中の強制収容に対し謝罪し5千ドルの賠償金を支払う旨の手紙があった。新井さんは、3歳の時に両親が日本語学校の教師としてペルーに派遣されたが、戦時中は日系社会リーダーの一人として米国に連れて行かれ、テキサス州シーゴビル収容所に抑留されたそう。その後は交換船で日本へ帰国するはずが、軍属としてシンガポール行きに抜擢され、終戦間際の45年7月に帰国するなど、実に波乱万丈な人生を送った。その経験もあって渡伯を決意したのかもしれない。詳しいことは新井さんが生前に自分史にしようとまとめていた資料があるとのこと。ぜひ、いつの日にか刊行されることを心待ちにしたい。