最も奇妙なのは1946年のはじめ、ある日系グループがDOPSに臣道聯盟を認める申請書を提出していたことだ。それは彼らが書けるかぎりの立派なポルトガル語で書かれていた。まずはじめに、大和魂を忘れた何人かの日本人が故意に事実とはことなる情報で警察に嘘八百を唱え、当局に迷惑をかけたことを謝罪している。
つづいて、申請書には「母国に反逆する一部の日本人が無条件降伏を報道し、母国に対し悪口を述べ、大部分の日系社会の人々を最大の危機に追い詰めている。彼らは働く意欲や将来への希望を失ってしまった」とあった。彼らは連盟の支部の会員であることを明らかにし、「臣道聯盟に属する者はブラジルの名を汚したり、この国の法律を犯したことなど一度もない」そして「われらの仲間が検挙された理由が知りたい」また、「それより日本の無条件降伏の情報を広めるため、人間性に反した行為に走り、また侮辱的な言葉をくり返す者たちを取り締まるべきだ」と述べている。
デマを撒きちらす非社会性の秘密組織ではなく、各会員の精神統一からなる組織だ。また、第二次世界大戦中日本帝国が掲げたスローガンである「八紘一宇」つまり「世界を一つの家にする」と唱える精神の普及にも当っていると述べていた。その翻訳に当ってはブラジル国民を刺激させないために「世界中から戦争をなくすための真の世界平和に協力する組織」と訳されていた。
これとは別に1946年3月警察の対策本部が設立された。在伯在郷軍人会という名の組織解明のためだった。組織の会長は60年代の山内清雄で、退役軍人の吉川順治も所属していたがポストは低かった。
もうひとつ警察が調べ始めた事件はアラサツーバ地域のコロアードスの巡査が11日、12日の見回り中にみつけた落書きの犯人を捜すことだった。落書きには「国賊め。ユダヤ人の代表。罰を待て」と書かれていた。犯人として臣道聯盟の支部会員、加藤敬三が検挙され、家宅捜索で本や書類が押収された。
溝部幾太の暗殺の捜査が加わることで、サンパウロの日系社会を揺るがす事件の解明に役立ったことは確かであろう。しかし、問題の大きさに警察が気づいたのはサンパウロ市でテロ活動がはじまってからだ。
4月1日早朝、古谷重綱がアクリマソン区の自宅で襲撃の的となった。ベッドから出ようとしているときだった。窓の外から撃たれたが弾は当らず、応接間に逃げた。狙撃はなんどもつづき、犯人たちはドアに体当たりしたが、開かずに退散した。結局、古谷は一命をとりとめ、犯人たちは警察に出頭した。
もうひとりの認識組の野村忠三郎は古谷のようにはいかなかった。彼は日伯新聞の編集長で、文協普及会の事務長をしていた。野村の妻が裏庭の戸を開けたとき、一団が家に侵入し、野村の頭をめがけて発砲し、たおれてからもさらに数発射たれ、その場で死んだ。
臣道聯盟に対しての警察の動きはサンパウロ市で狙撃があってから24時間もたってから始まったが、それからの活動はすばやかった。4月2日、社会保安局ペドロ・A・デ・オリベイラ・リベイロ・ソブリーニョ局長は社会情勢を脅かすテロ行為を行う日本人を告訴する書類に署名した。
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