「当保安局に届けられるテロ、あるいはその他の反治安的行為をなす日本国籍の個人又は秘密組織に対し、警察は如何なる場合においても1938年4月18日の法令383、2章と同年7月12日の法令554、1章に基づいて国外追放をいいわたす」
保安局長は州第5警察区のヴェナンシオ警察副所長に適確な処置をとるよう、そして、捜査進行の権限をあたえた。保安局長の支援による捜査を進めるにあたり、その日のうちにヴェナンシオ所長はDOPSのジェラルド署長に行動を促した。
同4月2日、新たに任命されたジェラルド署長は、「わが署の登記官をパラカツー街、96番地の臣道聯盟本部に同行させ、厳しい家宅捜索を行い、秘密組織と認められる全ての書類を没収するように」と命じた。
警察の発した家宅捜査命により、取り調べに必要な書類全部が没収された。1946年4月3日付け「フォリャ・ダ・マニャン」の記事の内容を半田知雄氏は次のように述べている。
「サロンの中央には大きなテーブルがあり、その周りに椅子が並んでいた。壁はまるで祭壇のようで、紫色のカーテンで覆われていた。カーテンを開けると、日本の国旗と軍旗が並べて張ってあった。床から2メートルほどある2枚の旗のまん中に白馬に乗った軍服姿の天皇の写真が掲げられていた。
カーテンの右側には赤い文字の「臣道聯盟」、また桜の花の上に白字の紋章「臣」と書かれた盾が置かれていた。盾の下のほうに日本暦2605年と小さく書かれていた。
カーテンの左側には天井から床まで壁いっぱいの大きさのブラジルの国旗が縦に吊るされていた。その左側に(あるいは、他の壁だったかもしれない)聖具保存箱のような箱があり、天皇の写真が入っていた。
警察官に箱について質問されると次のように答えた。『祭壇のようなものです。日本人が母国のために祈り、天皇を崇拝する場所です』
中央のテーブルには秘密組織の会員の名簿があり、なかにはブラジル籍の日本人子弟の名前もあった。警察はサンパウロ首都圏の会員名簿と判断した。
もう一つの壁にはサンパウロ州の詳しい地図がぶら下げられ、地図には日本人が集団地にある連盟の支部が印されていた。その支部の数からしても、13万人の会員をもつ臣道連盟の規模がいかに大きいか知ることができた。地図にある印から、支部のないところなどほとんどないことが分った。
次に、捜査員の後に従って庭に出た。奥の方に小さな家屋があった。そこは本部の印刷所だった。よく観察すると、つい最近まで使用されていることが分った。机の上には活動宣伝用の新聞やパンフレットのほかに、聯盟の会員に配る案内状や通達を印刷する謄写印刷機が置かれてあった。もう一つの机にはすでにあて先が書かれた封筒がたくさんあった。これらは郵送されるのではなく、会員が直接配達にあたっているように見受けられた」
書類は家宅捜索前日に会議を招集したときのもので、警察は根来良太郎を聯盟の会長とみなし、まず彼を検挙した。当然、この機会に聯盟で重要なポストにある何人もが検挙された。根来は警察関係者の多くの質問に恥じることなく唇に微笑みさえうかべ、日本人らしい態度で答えた。