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モジ入植100周年盛大に祝う=初入植地のコクエラ会館で=「日本移民史に残る一日」

モジ入植100周年式典で感謝状を渡された功労者の皆さん(Foto oficial = Wanderley Sasaki)

 コクエラ農業者協会(藁谷(わらがや)アントニオ長男(おさお)会長)とモジ・ダス・クルーゼス文化協会(津田フランキ理事長)が共催した「モジ入植100周年式典」が、コクエラ会館で15日に盛大に開催され、地元を中心に400人が駆けつけた。式典の最後に83人の功労者に感謝状が送られ、山元晴彦モジ文協元会長の音頭で乾杯し、盛大な昼食に舌鼓を打ち、記念のケーキにナイフを入れた。松本茂モジ文協評議員会長は「次の150周年に僕ら一世はもういない。三、四世世代にこの経験を引き継いでもらうために盛大にやった。若い世代が本当によくやってくれた」と頷いた。

 「兄さんは毎朝、枯れ木に火をつけ電灯代わりにして、モジの町まで9キロ歩いてコレジオに通った」――モジ開植の祖・鈴木重利(しげとし)さんの三男マリオさん(95、二世)は、電気もアスファルトもなかった子供時代をそう振り返った。1919年3月に渡伯した鈴木重利一家5人は9月にコクエラに入植。それを頼って続々と集まり、最盛期には約350家族の大コロニアに発展したため〝モジ開植の祖〟と呼ばれる。
 当日は午前8時半からモジ西本願寺の清水円了主管らにより開拓先亡者追悼法要が厳修(ごんしゅう)され、松本評議員会長が追悼の辞を述べた。カトリック式ではサンマキシミリアノ・コウベ教区の松尾レオナルド繁詞司祭らが慰霊ミサを行い、粛々と祈りを捧げた。
 10時から式典となり、津田モジ文協会長は「私も子供時代をコクエラで過ごした」と振り返り、「コクエラから入植が始まって、モジはブラジルでも最も日系人が多い町になった。今日は日本移民史に残る一日」と位置づけた。
 藁谷会長も「笠戸丸から11年目、ここから日本移民は自分の土地を取得して耕し、農業を通してブラジル社会から敬意を勝ち取るようになった。市の農業者2500人は4億5千万レアルの生産をし、直接間接の雇用1万人を生み、モジ市の名を全伯に知らしめる原動力になっている。全国の柿の35%、ビワの75%、キノコ類の60%を生産する。葉野菜は年間56万トン、〝蘭の都〟として1200万鉢を出荷している」と力を込めた。
 サンパウロ州商業評議会(JUCESP)の飯星ヴァルテル会長に続き、野口泰在サンパウロ総領事も祝辞を贈った。地元紙ジアリオのレナート・コセンザ重役、ブラジル日本文化福祉協会の西尾ロベルト副会長、安部順二元モジ市長の後、酒井サダオ市議会議長も「この会館で柔道の合宿を何度もした。今では日系人は農業だけでなく堀井文夫さん(鉱業、ホテル)、森昇さん(イピランガ病院創立)、松田典仁さん(MNプロポリス創業)など他業種で活躍する人物が出ており、モジを盛り上げている」と強調した。
 最後にマルコス・メーロ市長が「最初の日本移民、鈴木一家が入植した時、モジの人口はわずか3万人だったが、日系人の貢献もあって今では45万人。私の妻も日系三世だ。大不況の今こそ、日系人の団結に学ぶべき。日本移民の皆さん、モジを選んでくれてありがとう」と感謝した。

ケーキカットする藁谷さん、津田さん、松本さん


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 「モジ入植100周年式典」でルイス・カルロス・ゴンジン・サンパウロ州議は「100年前に植えたタネが花咲き、三世、四世になっても同じタネが植え続けられていることを、今日の式典で目の当たりにして感動した」とのべた。マルコス・ダマジオ・サンパウロ州議も「州645市のうち、モジ市は経済規模で18位を保っているのは、国全体が不況で沈む中、日系コロニアが農業で踏ん張ってくれているから。モジの今日があるのは日本移民のおかげ」と称賛。彼が州政府の予算から20万レを議員割当金として今式典にもたらした。このように非日系政治家から惜しみない協力を受けて、地元一般社会から愛される日系団体になることが、100周年を無事に迎える秘訣か。