最高裁よ、お前もか!

新政権で後退し続ける汚職没滅の動き
最高裁が25、26日に行った審議により、今までに下されたラヴァ・ジャット作戦で摘発された有力者への有罪判決が30件以上も無効化されそうだ。「裁判所よ、おまえもか!」と言いたくなるような動きだ。
本紙28日付2面《最高裁=「LJの判決変わりうる」多数》記事で既報のとおり、ルーラ元大統領やエドゥアルド・クーニャ元下院議長を含めた大物被告に下した有罪判決の裁判が、やり直しになる可能性が大になった。
ここで議論になっているのは、デラソン・プレミアーダ(司法取引)を使った刑事裁判の「手続き論」の問題だ。
司法取引を結んで犯罪を告白した証言者(本人も犯罪者)は、話した内容の中に、自分よりも大物の犯罪者を巻き添えにする内容が含まれていないと、司法取引として認められない。
今までは、被告(大物容疑者)が自分側の弁護発言をした後、司法取引をした証言者(小物)がその被告への容疑内容を同じ時間だけしゃべって、判事が判決を下すという順番で裁判が行われていた。
それに対し、供述者(小物)が発言した自分への容疑に対して、被告(大物)が最後に自己弁護ができないのはオカシイという訴えが起きた。
つまり犯罪の内容云々ではなく、そのような裁判手順はオカシイから「全部無効にして、やり直すべきだ」というちゃぶ台をひっくり返すような訴えだ。だが最高裁の過半数の判事が、それに賛成の意を表明している。
LJ担当のエジソン・ファキン判事は反対派で、「司法取引した供述者と、被告が弁護する時間に差をつけるべきだと定めた法律はない。判決は変えるべきではない」との見解を出した。
他にも「ここでLJ作戦の判決を見直すことになれば、今まで汚職撲滅に進んで来た司法の大きな流れに反する」と大局的な視点から反論する判事もいたが、反対したのは3人のみ。
アレッシャンドレ・デ・モラエス判事は「供述者の証言後に、被告に弁明する機会を認めないのは、自己弁護の権利を奪うことになる。被告には供述者の後に弁明する時間を与えるべき」とのテクニカルな見解を示し、その最終的な弁明の内容によって判決は変わりうると主張した。それに賛同した判事は過半数の6人に達し、決まったも同然の状態だ。
この週明けに最終審議が行われ「LJの判決は変わりうる」が多数となる公算が大だ。
今のモロは「魔法の杖を失った魔法使い」

汚職撲滅を旗印に当選したはずのボルソナロ政権になってから、逆にLJ作戦がどんどん骨抜きにされる事態が進んでおり、ついに「最高裁、お前もか!」と言いたくなる事態にまで進展してしまったように見える。
選挙期間中にボルソナロが目の敵にした、汚職まみれのはずの「Velho Politico(旧態依然の政治)」が左右超党派となって牙をむいて逆襲している印象が強い。
先月のエスタード紙に「(ヴァザ・ジャット暴露報道以降の)モロは魔法の杖を失った魔法使いみたいだ」というコメントが掲載されていたのを読み、上手いことを言うものだと感心した。というか、ヴァザ・ジャット以前の、法相就任時からすでに《国民のヒーロー》としてのオーラを失い始めていた。
セルジオ・モロ法相は、22年間も地歩を固めてきた司法界を離れ、華々しく法相就任して政界入りした。だが、その途端、逆に「梯子を外された」ような格好になってしまっている。
「法相」という役職は一見「司法を目指すものの頂点」に見えなくもないが、実はまったく違う役割を持つ。司法界という一つの権力から離れた、連邦政府というまったく別の権力の一角だからだ。
モロが法相に就任したときだけは、国家公安庁や金融活動管理審議会(COAF)も傘下に入れた「スーパー法務省」のトップという鳴り物入りだった。だが結局、汚職浄化が進むのを恐れた政治家が左右結託して、モロの手から取り上げて、独立捜査機関だったCOAFを、中央銀行傘下の一部所に格下げしてしまった。
とどめを刺したのはヴァザ・ジャット暴露報道だ。それまでは、LJ作戦を国民が圧倒的に支持していたから、政治家が逆襲しようと思ってもできなかった。だが、ヴァザ・ジャット以降、あきらかに政治家の逆襲が本格化した。モロの政権入り最大の理由だった、LJ作戦を強化するための「犯罪防止法案」はすでに骨抜きにされた。
加えて「職権乱用防止法」承認により、デラソン・プレミアーダというLJ作戦最大の武器は、使いづらいものにされてきた。
つまり、COAFは弱体化され、デラソン・プレミアーダは使いづらくなり、どんどん政治家側の立場が強くなっているのが、ボルソナロ政権になってからの流れだ。
ボルソナロはこの間、政敵PTに対しては汚職没滅を突きつけるが、身内や仲間に対しては「守る」という姿勢を鮮明にしてきた。大統領の長男フラヴィオ上議がリオ州議時代に職員として雇っていたファブリシオ・ケイロス氏の疑惑捜査は一向に進まないのは、まさにその典型だ。
これらの流れから、「旧態依然の政治」側の逆襲のほったんは、ボルソナロ本人にあったと考えざるをえない。彼自身が長い連邦議員歴を持つ、旧態依然の政治世界ズブズブでやってきた人間だ。
にも関わらず、どこの党や会派、委員会でも根を張った顕著な活動を残してこなかった一点をもって、「だから旧政治にまみれていない」と昨年の選挙戦では印象付けることに成功し、「新しい政治勢力」であるかのようなキャンペーンを張った。
当選して真っ先にやったことは、LJ作戦の象徴たるセルジオ・モロ連邦裁判事に法務大臣就任を打診したこと。これで国民からの「新しい勢力」という印象が決定づけられた。だが、モロという「新しい衣」をまとっただけで、中身はズブズブの旧政治家以外の何物でもなかった。だから現在、その〃本領〃を発揮している。
有権者はいま、昨年の大統領選挙で託した「汚職撲滅」の想いが裏切られたと気付きつつある。このまま景気回復がグズグズしていれば、来年の地方統一選挙の前に、その不満は一気に爆発するに違いない。
モロ法相就任が間違いの発端
ブラジル国の汚職文化を根こそぎジェット洗浄する使命を持ったLJ作戦としては、モロ法相就任は本当に残念なことだった。
だいたい昨年前半まで伯字紙の取材に対し、モロはかたくなに「政治の世界に入るつもりはない」と明言していた。ところがボルソナロ当選を受けて、まるで政治家のようにみごとに前言をひっくり返した。
二極対立化する政治状況から一歩離れ、モロは中立な立場を貫くべきだった。ボルソナロ側に組することなく、ただひたすらに汚職検挙を進めていくべきだった。ある意味、モロが政治的な存在になってしまったから、政治的に反対の立場の一派に暴露情報を売り込んで金にするというハッカーの発想が成り立つことになり、犯罪を起点とする暴露報道の標的になってしまった。
「英雄的人物」と見られていたのに、特定の政治的陣営に組することで、自らを「政治的な存在」に貶めてしまった。
ここから一部の国民の間に、「もしかしてLJ作戦は汚職撲滅ではなく、単にPT政権を倒すために仕組まれたモノだったのか。政界をキレイにするという司法界の自浄作用ではなく、実は政治的な背景を持った動きだったのか?」という疑問が生まれた。
「ボルソナロが当選できたのは、ルーラが出馬できなかったから」という部分が大きい。なぜ出馬できなかったかといえば、LJ作戦の進展によって、高級三層マンション賄賂疑惑において異例の速さで二審有罪判決が出たからだ。
事前の支持率調査からすれば、もしもルーラが出馬していたら圧倒的な票差で大統領になっていた可能性が高い。そうなら今頃、ルーラ第3次政権だ。ボルソナロはただの泡沫候補で終わっていただろう。
PTは「ルーラが司法界から過剰な迫害を受けている」と常々訴えてきた。それが、モロとLJ捜査陣が司法の名を借りて実際にそれを意図して行ってきたと、ヴァザ・ジャット暴露報道で明らかにされつつある。
敵陣営に対して激しい憎悪感情をぶつけ合う選挙活動が、SNSやネットによって過激に増幅されて、どんどん二極対立化する流れが、昨年起きていた。
その流れの中で、圧倒的な支持を誇っていたルーラに対抗する反PT勢力がどんどん集まり、結果的にボルソナロを勝たせた。LJ作戦なくして、ボルソナロ勝利はなかった。その政権の法相に、LJ作戦の指揮官たるモロが収まったという構図は、仕組まれた何かを感じさせるに十分だ。
イタリアにあった先例

ここで思い出すのは、ボルソナロが当選を決めてモロに法相就任を依頼したすぐ後に出た昨年11月2日付BBCニュース・ブラジル(https://www.bbc.com/portuguese/brasil-46059869)の「イタリア人学者はモロが、マン・リンパ作戦の《英雄》たちが政界に入った二の舞になるのではと不安を感じる」という記事だ。
イタリア検察が1990年代に行った「マン・リンパ」(Maos Limpas、清廉な手)」作戦は、モロがLJ作戦を遂行する際に発想のヒントを得たと常々言っていたスゴイ作戦だ。
当時、イタリア政界にはびこっていた構造的な汚職の仕組みを根こそぎ摘発するために検察が始めた作戦で、首相経験者4人を含めた438人以上の国会議員が追訴され、「キリスト教民主主義党」と「イタリア社会党」を中心とする与党勢力は完全に崩壊し、第3次アンドレオッティ内閣の総辞職を招いた。
政治家だけでなく、汚職にまみれていたたくさんの企業家、弁護士、司法関係者も起訴され12人が自殺した。「構造的な政界の汚職を徹底洗浄」という意味では、実に先進的な事例だった。
ただし、同記事でマン・リンパ作戦研究で有名なイタリア人政治学者アルベルト・バンヌッチ氏が指摘しているのは、《判事が個人的な政治的意見を持つことはかまわない。だが、その政治的な意見を職務に持ち込んではいけない。彼が過去にやってきたことが、今になって、政治的な野望の表現だったと見られる可能性がある》という点であり、《モロは法相の招待状を断るべきだった》と断言する。
というのも、マン・リンパ作戦で指導的な役割をしたアントニオ・ディ・ピエトロ検察官は1992年当時、国民から英雄と見られ、絶大な支持をされていた。まさに、昨年までのモロに重なる。その人気を取り込もうと、1994年にベルルスコーニ大統領が初当選した際、ジ・ピエトロに大臣就任を打診したが、検察官は断った。同様に国民的人気を持っていた同作戦のピエルカミロ・ダヴィゴ判事にも政権入りを誘ったが、やはり断った。
その際、二人は《このような公職(大臣職)を受け入れたら、裁判官などの司法界の仕事は、何か政治的な指図を受けているのではという疑いを国民に印象付けるから》という拒絶の理由を挙げていたという。
だが、ディ・ピエトロ検察官は他にも大きな作戦を遂行して1994年に退職した後、1996年にロマノ・プロジ政権(中道左派)の公共建設相に就任した。ところがそのジ・ピエトロ大臣に対して汚職疑惑が持ち上がり、結局は辞職した。
のちに同疑惑から身柄の潔白を証明し、今度は自分の政党を立ち上げて、再び2006年に閣僚入りを果たした。その後、上院議員になったがすでに政治家を辞めて弁護士になっている。
バンヌッチ氏は《もしアントニオ・ディ・ピエトロの経験を適用するなら、モロは法相就任の決断を後悔することになるだろうと言える。ピエトロは近年『私がした職業的な決断の中で、もっとも劣悪だったといえるのは司法界の経歴を捨てたことだ』と発言している。モロが同じ結論に達するは不明だが》と語っている。
だが、昨年11月の時点でバンヌッチ氏が見通していたことは、ほぼ的中しているといっていい状況に見える。
モロが政権側にたって捜査妨害はじめたら最悪…

本紙2面9月26日付《ボルソナロ国連演説を環境関係や先住民が批判》で報じた通り、ボルソナロ大統領が国連総会の演説で、世界のグローバル化進展を批判し、フランスなどを暗に指してアマゾン支援は「植民地主義という考え方が未だに抜けていない証拠だ」と言い放った。ブラジル国を代表した意見ではなく、あくまで彼個人の政治的信条に過ぎない。
だいたいアマゾン開発を標榜するボルソナロを支援しているのは、農牧族議員だ。彼等は世界に農産物を輸出して儲けている農業企業の代弁者であり、世界で最もグローバルな生産・商業行為を生業にしている。グローバル化批判はその構図を理解していない証拠で、完全に矛盾している。
その演説の続きで、モロ法相に関して「国民のヒーロー」と世界に向けて絶賛したのを聞き、完全にボルソナロ陣営のコマとなってしまったことを痛感し、昨年までの「英雄としてのモロは死んだ」と手を合わせたい気分になった。
バンヌッチ氏の言葉の中で、モロ法相の今後に関係すると思われるのは、《司法と行政(政権)はそれぞれ独立した権力であり、兼任することはできない》という指摘だ。モロは《新しい職務において、司法界を守る役割もあるが、同様に判事たちを敵に回す政治的な役割を演じることも出てくるだろう。政治活動と司法活動の間に、矛盾する要素が生まれる》と指摘する。
つまり、モロがボルソナロの手先となって、汚職捜査を妨害する側に回るのでは―という先読みだ。万が一そうなる前に、まだ「英雄」としての余韻が残っているうちに、ディ・ピエトロのようにいさぎよく辞任してほしいものだ。(深)