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やまと心の森林農法=アマゾン移住90周年に想う=(上)=神奈川県在住 松田パウロ

ベレンにあるウチンガ州立公園(本人提供、Parque Estadual do Utinga、撮影日=2019年8月)

天上大風 大河有情

 アフリカ大陸サハラの沙漠より舞い上がる砂塵は偏西風(Os ventos alisios)に乗り、無尽蔵のミネラルをアマゾニアに降り注ぎ、大森林を養っているという。砂塵に大量に含まれる鉄分は、生命の起源物質で、化学記号で「Fe」と表記される。
 日本人移民の湧き上がる意気と情熱は、幾多の海洋民族のFe信仰と溶け合い、うねり流れる大河の岸辺に、生命を燃焼させる。
 移民90周年を迎え、やまと心は湧き上がる白い雲となり、緑の海を流れゆく。

定時 定点 必達

 20世紀最大の森林資源開発の華、その名は、ジャリプロジェクト 。
 1976年ユダヤ人大富豪ダニエル・ラディックの発案により、アマゾン河口北岸アマパ地方に世界最大の森林資源開発は始まる。
 熱帯アジア原産の急成長樹種グメリーナ は、すでにイギリス王国により西アフリカのマラウィー国にて小規模に産業造林に成功している。
 ダニエル・ラディックは、グメリーナとカリブマツを主体に20万haの一斉造林を目論んだ。そのプロジェクトの中核となるパルプ精製工場は、遥か日本国、広島県の呉市の石川島播磨造船に発注された。
 かつての呉海軍工廠の「ゆめ」の跡、戦艦大和建造の誉れ高き造船所である。
 二宮金次郎先生の報徳思想の実践者である土光敏光社長により、呼び覚まされた技術者魂は、リオに進出したイシブラスと呼応して、大海を渡るのだ。
 長さ230mと220m、幅45mの二艘の巨大な艀に、世界最新鋭のパルプ精製工場、もう一方の船に最新鋭発電所を搭載し、喜望峰まわりで87日間、曳航される。
 文明から隔絶されたアマゾン河北岸の辺境の地に着岸して、わずか10カ月後に最新鋭工場を稼働させたことは、自由で強靭な未来都市の創造の可能性を示した。
 後に「増税なき財政再建」で有名になる土光敏光社長は、リオのイシブラス創立において人を育てることに重点を置き、会計部門までもブラジル人に解放してしまう。それは適地技術の展開に終わりなきことを予知している。 
 ところで戦艦大和とは、重厚長大産業の代表に見えて、実際はコンパクト化技法の集大成であり、職人技の結晶である。
 長さ263m、幅38・9mの船体に、高出力の蒸気タービンを搭載して、燃料庫、弾薬庫には爆発物がギッシリひしめく鋼鉄の艦に3千人を超える血気盛んな兵士が搭乗する。(アマゾンのフォード王国は、100万ヘクタールに労働者3千人を構想)
 「大和ホテル」と揶揄される空調設備は、弾薬庫の冷却のお裾分けに過ぎない。よくぞ、これだけの爆発物を詰め込んだものと感心させられる。
 美味な食事の配給は兵員のストレス暴発を防ぐ必需品であり、疲労回復の特効薬としての三ツ矢サイダーの製造は消火設備から発生する炭酸ガスを活用する。
 ジャリプロジェクトは、最先端のパルプ工場と発電設備を二艘の方舟に分離させたことにより、安全性は確保された。日産750トンの漂白クラフトパルプを生産し、精製で発生する残渣は、グリーン・リカーとして工場のボイラー燃料に還元され、最終廃液は養魚場に活用し、並行して水田開発も実施された。
 しかし、大資本を投じた森林資源開発プロジェクトは、あっけなく破綻してしまう。完璧を期した一斉造林は、日照りと病害の発生により、虚しく消滅するのだ。
 効率よく森林資源を支配せんとする野望は、アマゾニアには、全く通用しない。
 しかし、ジャリ計画には華がある。それは、巨大工場の接岸の時である。
 最新鋭のパルプ工場と発電所の2隻は、あらかじめ打ち立てられた基礎の杭に着座させ水平を保つ。その基礎の杭は、超耐久木マサランドウーバの巨木1万6000本。
 日本からベテラン技師が勢ぞろいで接岸、着床の微調整に当たるのであった。
 ちなみにルドウィックの奥様は日本人で、不思議なご縁は、アマゾニアに花開く。
 現在は、ブラジル人実業家セルジオ・アモローゾにより新たに日本製の新型設備に更新し、多種多様な樹木からパルプ生産は継続されている。
 堅牢なプラットフォームは、経済変動の荒波にも技術革新にも対応し、限定された空間では、ブラジル人は素直かつ自由奔放に才能を開花することを実証している。
 「人なき土地に、土地なき人」ではなく、知識を磨き、技を練る清浄な空間を堅持することこそ、ブラジル国の求める日本人開拓者の使命なのであろう。
 それは集約農業から花卉栽培、あるいは寿司屋から武道の修行まで、いたるところで日系移民の成し遂げた足跡である。

自然法爾の開拓精神 

 1929年に開設されたアカラ植民地は、60万ヘクタールの原生林。
 その開発を請け負う時の財閥・鐘紡は、国家プロジェクトと位置づけ、植生調査と試験栽培に、専門技術者が常駐させている。その人財基盤の元に、親鸞上人の教えを一途に信じる草分け移民は、アマゾニアに定住するための新しい農法を模索する。
 アカラ植民地は20周年を迎え、コショウ栽培の大躍進によりトメアス移住地となる。南米拓殖試験株式会社(南拓)の試験場跡地は、やがて坂口農場となり、熱帯作物の研究は継承されてゆく。移住地悲願のアマゾニア農大トメアス分校は、坂口農場から提供された農地8・9ヘクタールに、2014年に建学される。
 1976年、坂口農場にて、カカオを主体とする森林農法が産声を発する頃、ジャリプロジェクトの期待のグメリーナの種子が、ブラジル農務省より贈られた。
 何気なく、農場入り口のアサイヤシの森の木蔭に定植したグメリーナは旺盛な生長を開始する。その母なるアサイヤシは造林したのではなく、野鳥のトゥカーノが、その大きなクチバシからアサイヤシの種子をこぼしてくれた御蔭という。野鳥による樹下植栽は、森林農法のはじまり、「生命解放の農学」と呼びたい。
 若い苗木にとって、夜明けとともに、母樹の降らせる朝露は実にありがたい。
 そして重厚な森は、定刻に驟雨・スコールを正確なリズムで呼んでくれるのだ。
 坂口農場の入り口は南拓試験場時代は、赤坂と呼ばれ怖れられた。雨にぬかるむ坂道は、鉄分の多い粘土質を物語る。
 この地域がアサイザールと呼ばれるのは、もともとアサイヤシの茂る土地柄なのだ。カカオ園の庇陰樹(ひいんじゅ)エレトリーナの咲く頃、午後3時過ぎに、その坂の上の丘にのぼり、地平線から寄せ来る一群の雲を観察する。
 まず強い風が吹き、やがて叩きつける雨。葉に積もる埃を洗い流し、体に染み入る慈雨こそは、植物には最高の活力源である。
 とても穏やかに見えてしまう熱帯降雨林ではあるが、そこに働く人の食事と仕事の分量は、厳しく節度を求められている。
 一気に数百haを開墾した牧場では、激しい上昇気流を生み、押し寄せる雲は見事に迂回してゆくのは明瞭。雲をして、天の意思を語らしむ。
 和歌山県の山深き熊野古道に生まれた坂口陞氏(さかぐち・のぼる)は、良寛さまを想わせる穏やかな語り口で法話のように森林の生態と遷移を解説するのであった。1982年に農業実習生として坂口農場に学んだ筆者は、樹高15m、直径40cmに育ったグメリーナ樹一本を斧で伐採したが、5年生とは思えない迫力を感じた。
 しかし「最低30年を待たねば、木材として一人前とは呼べぬだろう」と農場主は唱える。欧米人が対決する自然「しぜん」と日本人の対話する自然「じねん」その違いは、己(おのれ)を虚(むな)しく「自ずから然しからしむ」時間感覚にある。
 アマゾニアの天地開闢に立ち会い、征服欲は持たず、人間のあるべき姿を想い、慌てず、うろたえず、人知れず種子を蒔き、森林農法の花を静かに咲かせている。決して森を「育てた」などと主張しない。「育つんだ」と信じ、慈しむ。
 先駆者の想いを秘めて、木陰の道は、快適なり。(つづく)