13日午前2時半、部屋の電話が鳴った。この日は午前3時に朝食、午前4時にベレンのホテルを出発し、午前10時からトメアスーで行われるアマゾン日本人移住90周年に参加する予定だ。
当初はトメアスーで1泊する話もあったが、これだけの大人数だと宿を取るのも一苦労。故郷巡りの下見に行った山田康夫団長が「参加者の泊まる宿もバラバラで、バスで送迎するのも大変。お湯が出ないホテルもあったし、それならベレンから朝早いほうが良い」と判断した。
さらに、今回はトメアスー文化農業振興協会(ACTA、文協)からの申し出で、パラー州軍警察6人がトメアスーまで警護についた。山田団長は「安全で何事もなく着けるようにと計らってくれた。こういう申し出ができるのは、日系団体が州に対して力を持っている証拠」と言う。
確かに以前来社した汎アマゾニア日伯協会の生田勇治会長は、「パラー州政府にも日系人に敬意を表してもらいたい」と訴え、州政府の協力を取り付けたという。ピメンタ・ド・レイノ、アグロフォレストリーなど、経済的にも大きく貢献してきた同地における日本人移民の影響力の大きさを感じた。
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会場であるACTA会館に着くと、元トメアスー入植者の豊田一夫さんが早速懐かしい友人と笑顔で握手を交わす姿が目に入った。
また、豊田さんはトメアスーの大農家、小長野道則さんと親しげに話し始めた。小長野さんは「僕の農場は豊田さんから購入したんですよね」とニコニコと微笑む。豊田さんも「まさかこんなに立派になるとは思わなかったよ」と嬉しそうに声を弾ませた。
記者は7月に小長野さんを取材させてもらったが、確かに230ヘクタールの広大で立派な農場だった。それが元々は豊田さんの土地だったとは。小長野さんはこの日の式典で在外公館長表彰を受賞したが、それを見た豊田さんも感慨深いものがあっただろう。
後から会場に入ってきた尾西貞夫さん(76、兵庫県)は、ソワソワと落ち着かない様子で辺りを見回す。どうしたのか尋ねると「ここで51年ぶりの同船者に会えると思って今回参加したんだ」と言う。
尾西さんは、1968年2月28日に神戸を出港した「あるぜんちな丸第29次航海」で渡伯。この同船者集団の様子は、同乗した元NHKディレクターの相田洋(ゆたか)さんが取材し、特集番組を制作。相田さんはその後も10年毎に移住者を取材し、昨年末には「移住50年目の乗船名簿」が放送された。
尾西さんが半世紀ぶりに再会できたのは、久保田忍さん(85、宮崎県)だ。「久しぶりだな! 元気か?」「元気、元気」と声を掛け合う。同じ国に住んでいると言っても、サンパウロとベレンでは遠い。尾西さんは、久保田さんをテレビ画面では見ていたが、実際に会うのは移民船以来だった。
久保田さんは「良い思い出になった。もう何も言うことはない」と喜び、尾西さんの肩を叩く。尾西さんも「やっと会えた」と満足気。互いの近況を報告し合い、2人はしばらく再会の余韻に浸っていた。(有馬亜季子記者)