ブラジル沿岸部における史上最悪の環境破壊
想像してほしい。たとえば故郷の美しい海岸の見渡すかぎりが、真黒な原油の塊でベトベトになっている様子を…。そこでは人はもちろん、鳥もウミガメも、魚すらも汚染され、次々に健康を害していく。
8月30日に最初の原油漂着が発見されてから、あちこちで発見されるようになり、今では200もの海岸で漂着が確認された。その中には北東伯が誇る最大の観光地であるポルト・デ・ガリーニャ海岸(ペルナンブッコ州)、モロ・デ・サンパウロ(バイア州)、トッドス・オス・サントス湾(バイア州)も含まれる。
この北大河州からバイア州までの1千キロを超える海岸線が特に被害を受け、10月24日時点で流れ着いた原油量は1300トン以上と報道されている。この地域にはサンゴ礁やマングローブ林が多く、貴重な生態系も残っていた。ブラジル沿岸部における史上最悪の環境破壊だ。
本紙2面10月25日付は《北東部=原油汚染で健康被害確認=魚介類からも重金属検出=回収した原油の扱いで混乱》と報じている。
《病院で治療を受けたボランティア17人が訴えた症状は、原油に触れて生じる発疹やしみ、火傷、かゆみと、原油から生じるガスを吸い込んで起きる頭痛や嘔吐、吐き気、のどの痛み、意識の混濁などに大別される。(中略)
魚介類の重金属汚染に関する調査はバイア連邦大学が行っており、魚や貝など50点を分析した結果、全てのサンプルから重金属が検出された。北東部では既に、汚染海域で獲れた魚介類は食べないようにとの指示が出ており、水産業従事者を取り巻く環境は一層厳しさを増している》(同25日付)
環境問題で祟られた2019年のブラジル
この件に関しては10月10日付本紙《ブラジル北東部/史上最大の海洋環境破壊に/漂着したのはベ国産原油/流出原因は未だ分からず》を読んだ時から、今年は「環境問題に祟られている」と、とても暗い気持ちになっていた。
たとえば、新年早々1月25日に起きたブルマジーニョ鉱滓ダム決壊事故では、直接の犠牲者は250人、行方不明者20人だった。加えて5月23日付《ミナス州=ダム決壊の恐怖で病む人々=医療機関利用者などが急増》、9月10日付《ブルマジーニョで上半期の自殺未遂が3割増加=薬の処方量も急激に増える》にもあるようにジワジワと付近住民を精神的に追い詰めている。
また、決壊したダムのすぐそばを流れるパラオペバ川は生態系的には「死んだ」状態となってしまい、重金属などの汚染物質は下流のある「北東伯の母なる大河」サンフランシスコ川に流れ込んでいるという調査結果も報じられた。
さらに、8月24日付本紙《アマゾン森林火災に国際的批判強まる=緊急対策でG7召集へ》や《アマゾンの森林火災に怒り、悲しむ世界=ディカプリオやロナウドといったセレブも》にあるようにアマゾン火災の増加は、世界的に反響を呼んだ。
それぞれ、たった一つでも十分に衝撃的な環境問題を引き起こしているのに、今度はあの美しい北東伯海岸に原油漂着―ときた。だが、不思議なことに今回、国際世論はあまり反応していない。
原油タンカー沈没なら何年も漏れ続ける?
物事は常に最悪を想定し、「そうならなかったらラッキー」と思う方が精神衛生上よい。そこで「最悪の想定」をしてみたい。以下に想定することは、あくまで想像に過ぎない。
今回の事例を見ると、明らかに原油タンカーが関係している。
ウィキペディア「石油タンカー」項によれば、石油タンカーの積載量は重量トン数にして数千トン程度の沿岸用タンカーから、55万トンに達するマンモススーパータンカーまである。2006年6月時点で、1万載貨重量トンを超える石油タンカーは4024隻あり、年間およそ20億トンの石油を輸送する。
1300トンの漂着原油量は小型タンカー1隻分だ。たったそれだけで、1千キロ以上の海岸線に広がる漁業・観光産業へ数年間にわたって大きな被害を与えられる。
しかも1カ月たっても犯人が分からない。原油自体はベネズエラ産だと成分から分かっているが、だからといってベネズエラがやったとは限らない。その原油を買っている国、会社が関係している可能性の方が高い。
10月15日付本紙《北東部=1カ月半経ても続く原油漂着=セルジッペ州だけで100トン回収=流出源は外海の水中か?》を読んで、最悪の場合を想定していた。「旧式なベネズエラの原油タンカーが、ブラジル沖700キロほどの地点で沈没した」という筋書きだ。
というのも、次の記事を読んだからだ。《汚染源に関しては一時、ブラジルの近海で海洋投棄された可能性が囁かれていたが、海洋物理学者らのシミュレーションや海軍が洋上で油のしみなどを発見できていない事などから、北東部に漂着した原油は、ペルナンブコ州やパライバ州から500~1千キロ沖の水面下で流出している可能性も指摘されている。
これらの情報から、タンカーの難破、以前難破したタンカーの中身が現在になって漏れ始めた、タンカーからタンカーに詰め替える時の事故が原油流出の原因と考えられるという。それ以外に、船名を変えたり、レーダーを切るなどして所在や正体を隠す「幽霊船」が関与している可能性もあるという》(同10月15日付)。
10月19日付本紙《北東部原油汚染=漂着量が再び増える=流出源は700キロ沖か=回復には数十年を要す?》というのも気になる内容だった。
一度に投棄されたのならまとめて漂着して、その後は収まる。今回のように後から後から流れ着くことは考えにくい。そこで想定されるのは、タンカーが沈没して少しずつ漏れているとか、大量のドラム缶に詰めた原油が海中に投棄され、そこから徐々に漏れ出しているようなケースではないか。
沈没タンカーであれば、海中に沈む巨大な金属塊を探査するレーダーで調べるしかない。国レベルが動かないと、そんな大掛かりな調査はできないが、連邦政府の動きは鈍い。もしも、ドラム缶に入れた小分け状態で、バラバラに海中投棄されていたら、発見はむずかしいかもしれない。しかも大西洋中央部の海溝付近の深い海底であれば、もうお手上げだ。
だが、沈没タンカーという最悪の筋書きの場合、船倉が空になるまで何年もかけて少しずつ原油は漏えいし続ける可能性がある。何度も何度も原油が漂着してきたら、海岸で清掃作業をするボランティアの健康被害もバカにならない。
どこのタンカーなのか?
星野妙子編『ラテンアメリカの一次産品輸出産業―資料集―』の表の通り、2006年時点のベネズエラ原油輸出先の一番のお得意さまは米国。続いて中南米・カリブ諸国、西ヨーロッパ、アジア太平洋だ。
さらに気になるのは、《チャベス政権は2005年に、ペトロカリベ、ペトロスル構想を打ち出し、中南米・カリブ諸国との間で石油協定を次々と締結した。また中国を重要市場ととらえ、中国石油企業によるベネズエラ国内の石油開発・生産への参入および中国への石油輸出を含めたエネルギー協定を結んでおり、中国への石油輸出が今後増えることが予想される》(同206頁)と書かれている。
この後の大きな変化といえば、2017年7月30日に実施された制憲議会議員選挙を契機に、米国のベネズエラに対する制裁が強化された点だ。ベネズエラにとって最大の輸出先である米国との石油製品の貿易を制限する内容であり、その分、誰かが買っている。
今のベネズエラを裏から支援しているのはロシアと中国だと言われる。そして大西洋のブラジル沖を通るタンカーとしては、アジア太平洋諸国向けの原油の可能性が高い。
独立行政法人「石油天然ガス・金属鉱物資源機構」のサイトに今年2月23日付で掲載された《ベネズエラ:石油産業をめぐる最近の動向》(舩木弥和子著》によれば、米国からの制裁の影響として《生産量減少に伴う原油の不足、火災、機材の故障、部品の不足等により、PDVSA(ベネズエラ国営石油会社)保有の製油所の稼働率は2017年7月に50%、年末には15%と低い水準で推移している。また、資金不足による不十分なタンカーの掃除や点検、原油の品質低下、原油生産量の減少、米国の制裁等により石油の輸出入にも影響が生じている》という。
つまり、生産量が急激に低下して資金不足に直面する中で、タンカーを含めた保守点検がおろそかになっているようだ。本来、原油を産地から精製地に輸送する「外航タンカー」は大型化が進んで20万トン以下ぐらいが主流だが、精製油を国内輸送するだけの「内航タンカー」は1千トン内外の小型船が多い。
もし、沈没したのが「外航タンカー」クラスであれば、今までの量の20倍の量が今後も流れ出る可能性がある。国内輸送向けの「内航タンカー」を幽霊船として大西洋という外洋を航行させていたなら…。ブラジル政府は「幽霊船」という表現をしているが、米国のベネズエラ経済制裁から逃れるために、正式な売買登録できない取引をする原油タンカーがそれにあたると思われる。
旧式な設備で、無認可な原油を運んでいるので、パナマ運河を航行せずに、旧式のタンカーでこっそりアジアへ運んでいたという可能性が考えられる。とすれば、中国向けの「幽霊船」がブラジル沖で何らかの事故を起こして沈没したという筋書きが、最悪の想定ではないか。
意図的にこれを起こせば環境テロになり得る
「これは環境テロではないか?!」――8月末、最初に北東伯の海岸への原油漂着が報じられた際、そう思った。もちろん、そんな証拠は何もない。単なる事故の可能性も高い。
なぜそんなことを思ったかと言えば、もしも同じことが「日本の近海で起きたら日本の海岸線は全滅する」と直感したからだ。
もしも20万トンクラスの原油タンカーを沖縄付近の沖で意図的に沈没させれば、船倉から漏えいした原油は黒潮にのって鹿児島から青森まで1900キロの海岸線をくまなく汚すことになる。日本近海の漁業や観光産業がほぼ全滅する。
たとえ事故でも、あってはならない。まして環境テロとしてやるのは許せない暴挙だろう。
「日本であれば太平洋側海岸が全滅」ぐらいの規模の環境事故に、今回ブラジルは遭遇している。日本にとっても、決して対岸の火事ではない。(深)