日本時間の10月31日未明、沖縄県那覇市にある世界遺産の首里城で大規模な火災が起き、正殿と北殿、南殿を含む計7棟が全焼した。沖縄県のシンボルである首里城が焼失したことに、在伯沖縄県人からは悲痛な叫び声が上がっている。ブラジル沖縄県人会(上原ミルトン定雄会長)はこの事態を受けて早速、義援金集めの検討を始めた。「世界のウチナーンチュで母県を助けたい」と奔走している。
「ニュースを見て泣きました。信じられない。言葉が出ない」――若手幹部の上原テリオさん(49、二世)は開口一番、そう無念な思いを語った。「今日は『ウチナーンチュの日』だと思ったら嬉しくて、朝一番にフェイスブックに沖縄県の宝物である首里城の写真を投稿した。夜も仲間と何かやろうと話していたのに…」と悲惨な現実に声を震わせた。
「先日まで、沖縄県に居た。妻と何度も首里城に行こうと話していたのに、行けなかったのが本当に残念。どうしてあの時行かなかったのか、自分が許せない」と自分への怒りを声に滲ませる。
上原会長(71、三世)は「首里城は沖縄県人にはとても大事なもの。何かしたいという気持ちは強い」と胸の内を語り、世界中の沖縄県人と子孫が一体となって母県を助けたいという意向を示した。
「よりによって『ウチナーンチュの日』にこんなことが起きるとは」と声に悔しさをにじませたのは、島袋栄喜前会長(68、沖縄市)だ。「首里城はウチナーンチュのシンボル。世界中の同胞と連絡を取り合い連携したい」と今後の動きに対し希望を述べた。
首里城は、琉球王朝の王城で、戦前は正殿などが旧国宝に指定されていた。しかし1945年の沖縄戦と戦後の琉球大学建設で破壊されてしまい、80年代前半までは建物の一部が残っている程度だった。
80年代に琉球大学が移転し、本格的な復元が行われ、92年に木造建築の正殿などが復元された。今回焼失したのは、この再建された首里城の複数の棟だ。
30日昼のニュースで首里城の火災を知った同県人会の役員らは、沖縄県知事宛にメールを送信。さらに31日午後にはサンパウロ市の同県人会本部会館に集まり、銀行口座を開設し義援金を募ることが決定した。
「失ったものは大きい。ショックですよ」。宮城あきらさん(82、本部町)は、NHKのニュースで見た火災の映像に釘付けとなった。琉球王朝の歴史と文化の象徴の焼失を嘆きつつ、「玉城県知事が世界のウチナーンチュにも復元への協力を求めていた。義援金が少しでも役立つなら」と母県を支援する心積もりを述べた。
山城勇さん(92、糸満市)は「首里城は戦中に消失したのが、ようやく92年に復元した。それがどうして…意味が分からない」と言葉が出ない様子。「最後に首里城を見たのは16年だった。何度見ても素晴らしい沖縄県の象徴だ。募金活動など何か支援したい」と悲しみに暮れながらも、力強く語った。