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ルーラ釈放は最高裁が悪いのか?

釈放されたルーラ(Gibran Mendes/CUT Parana)

 ブラジル最高裁が7日、「2審有罪で刑執行」派が5対6で「刑執行反対」派に負けた。これを受けてルーラ元大統領が釈放され、世間がざわついている。ムリもない。ところが、グローボTV局はあえて大騒ぎせず、「なにか裏にあるのでは?」とかえって不気味な雰囲気を醸し出している。
 ルーラ釈放を受け、来年の地方統一選挙、3年後の大統領選挙に向けて左派の巻き返しに勢いがつくことが予想され、経済的にはマイナスなニュースだと解釈されそうだ。
 政治評論家によっては、「ボルソナロとルーラが感情的にののしりあうことで、次の大統領選では、右翼と左翼に再び両極化、過激化が進み、中道(ドリアやルシアノ・フッキら)が弱体化する」との予想まで早々としている人もいる。
 ただし、ルーラ本人は「2審判決有罪で出馬不可」を定めたフィッシャ・リンパ法により、自らは出馬できない。だが檻の中と外では、彼の存在感がまったく違うことは間違いない。
 最高裁は今まで何度かこの件に関する審議をして、かろうじて「2審有罪で刑執行」を支持してきた。それを覆したことで、最高裁を非難する声も多い。だが、本当に非難されるべきは政治家の方だとコラム子は思う。

最高裁判断こそ憲法違反だった現実

 なぜなら、ブラジル憲法の第二編「基本的権利及び保障」の第57項には「何人も有罪判決の確定まで犯罪者とみなされない」と明記されているからだ(『1988年ブラジル連邦共和国憲法』二宮正人・永井康之訳、インテルクルツゥラル、2019年、55頁)。
 さらに刑法283条にも「現行犯、もしくは司法当局の有罪判決などがない限り、何人も拘禁されない」とある。
 どんなに怪しくても、有罪の最終判決が下るまでは無罪として扱う。この「推定無罪」の原則は、世界の司法界の常識だ。
 つまり、事実上「4審」まであるブラジルの司法制度において、「2審有罪で刑執行」という最高裁判断の方が、むしろ憲法違反だ。それをブラジル弁護士会などは繰り返し問題にしている。たしかにそのとおりなのだ。
 おそらく、軍政時代の政治犯に対するムチャクチャな拷問や有罪判決に苦しんだ活動家や左派政治家が、民政移管後も「羹に懲りてなますを吹く」式に、できるだけ「有罪判決」を遅らせようとした結果、普通の国は2審で終りなのに、ブラジルだけは4審という世界でも稀な司法制度が生まれたのではないだろうか。
 もしくは、単純に「誤審」が多いという現実もあるのかもしれない。その辺は、ぜひ専門家に改めて解説してもらいたいところだ。

世界でも稀な4審制を支持するのは政治家

 「世界でも稀な4審制度」といっても、実際に刑事事件の告発内容や証拠、弁護などの審議をして有罪かどうかの判決を下すのは1審(判事が一人)、2審(判事は複数)までだ。
 3審である「連邦司法高等裁判所」(STJ)、事実上の4審となる「最高裁」(STF)の二つは、その刑事裁判の判決や過程が憲法に沿っているかどうか、違憲ではないかという法的な整合性を審議するだけだ。ただし、ここで審議プロセスが違憲だと判断されれば、2審の有罪判決が無効化される可能性がある。
 仮に「政治犯を時の権力から守るために4審まで刑執行を遅らせる」という主旨で作られた憲法条文だとしても、現実的には有力者・政治家・資産家だけがそのメリットを享受できる制度になっている。
 高額だが〃有能〃な弁護士を雇える人だけ、3審、4審まで争うことができ、その間、10年どころか下手したら20年以上も通常の生活が保障される。その間に、いつのまにか高齢者となり、たとえ有罪判決が下されても、医者の診断や高齢者特権で刑務所に入らなくても良くなる。
 つまり、「権力者ほど罪を犯しても罰を受けなくても良い」という不平等な状態が現実的に起きている。その現実に、最高裁が良心的に対処した結果、事実上の憲法違反を犯してまで、この10年間ほど「2審有罪で刑執行」という解釈を押し通してきた。
 それが、今回崩れた。もともと横車を押すような解釈だったから、いずれそうなることは予想されていた。

憲法の方を直すべきタイミングに

 本来なら、最高裁が横車を押している間に、連邦議員の側が憲法修正動議を出して、「2審有罪で刑執行」と明記させなければいけなかった。
 だが、政治家の多くがラヴァ・ジャット作戦などで脛にキズがある人ばかりであり、3審、4審までズルズルと引きずりたい側だから、そんな動議は通らなかった。でも、今回は最高裁判断を受けて、憲法の方を直す動きが加速している。
 「2審有罪で刑執行」がダメになったことで、ラヴァ・ジャット作戦の弱体化がさらに進むとの声が強い。強い権力者ほど、できるだけ早い段階で有罪にして力を削がないと、単なる公務員である捜査陣の方が崩される。実際に、いまそれが起きている。
 そんな危機感があったから、検察や連邦警察は少々、逮捕理由にムリがあっても政治家を拘置所や刑務所に予防拘禁する行動に繋がって来た。
 これは、「汚職撲滅」を強く支持する世論を背景にしていたから、押し通せた部分だ。だが、ヴァザ・ジャット以来、世論の後押しがめっきり弱まり、政治家側が逆襲を始めた。そのような流れの中で、最高裁判決も、くつがえったのかとすら思える。
 政治家や国民の質に問題があると、民主主義では解決できない問題が多々発生する部分がある。悲しい現実だが、だからといって専制君主制や一党独裁、軍事独裁などに後戻りする訳にはいかない。(深)