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サンパウロ市カンブシ区=平野運平像また盗まれる=6月に没後100周年で再設置=市に盗難の真相を調査依頼

台座のみになった平野像跡(11月13日撮影)

 第1回日本移民の通訳を務めた平野運平を顕彰して建てられた胸像は、幾度も盗難被害に遭った後、没後100周年を記念して今年6月に改めてサンパウロ市カンブシ区エスタード大通り沿いの平野運平広場に再建されていた。それが、再び盗まれていたことが今月判明した。

 静岡県人会(原永門会長)と共に再建を主導した平野農村文化体育協会の山下薫ファビオ会長によれば、平野植民地出身のサンパウロ市在住者が11月1日に平野運平広場を訪れた際、なくなっていることが判明した。
 本紙記者も13日に現場を確認に行ったところ、平野像とプレートはきれいに消え去り、無残なことに台座だけが残されていた。

設置された当時の平野像(6月2日撮影)

 盗まれた平野像は今年6月2日に、平野植民地周辺在住者もバスを貸しきって駆け付け、総勢90人で盛大に設置記念式典を挙行して祝ったばかりだった。
 山下会長(51、三世)は「非常に残念で悲しい。新しいものを作りたいが、また平野運平がいなくなると思うと踏み切れない」と悲痛な声をもらした。再設置を含めた今後の対応は未定で、「静岡県人会とも話し合って考えたい」と述べた。
 静岡県人会の原会長(75、二世)も「今年で平野氏の没後100年を迎え、功績をたたえるために皆で協力して建てた大事な像だった。また盗まれたのは本当に残念」と悔やんだ。
 「以前盗まれたのは銅製で、売られて溶かされたと推測される。その教訓から、今回盗まれた像とプレートは石で作った。売ってもお金にならないはず。だから今回の盗難は一般的な犯行でないのかも」とも推測した。「再設置を検討する前に、市に盗難の真相解明の調査を要請しようと考えている」という。

6月の落成記念式典の様子(6月2日撮影)

 平野像は平野植民地入植60周年(1975年)を記念して平野運平広場に建立された。その後、日系人が多いリベルダーデ区のカルロス・ゴメス広場に移されたが、プレートが盗まれ、元の場所に戻された。
 静岡県人会が広場を清掃し、桜の植樹も始めたが、高架式バス専用道路建設に伴い、同広場が資材置き場となり、像は一時的に撤去された。
 工事の後、像は広場に戻されたが、今度は像とプレートが持ち去られた。時期は不明だが、昨年10月に盗難を知った平野農村文化体育協会が再設置に乗り出し、同県人会と今年6月に再設置を行っていた。
 平野運平は東京外国語大学西語学科卒業後、通訳5人男の一人として渡伯。笠戸丸移民62家族232人を率いてグァタパラ耕地に入耕した。耕地の副支配人に抜擢されるも、その職を断って植民地開拓に乗り出し、1919年、建設半ばの植民地でマラリアにより死去した。享年34。


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 サンパウロ市カンブシ区の平野運平像は、再三の盗難被害に遭っている。普段日系人が通ることはほとんどなく、治安も良くない地区だ。場所の名前が「平野運平広場」だけに、像を再設置したいところだが、近くのリベルダーデ区ラルゴ・ダ・ポルボラにも6月に平野像が設置されている。再設置にかかる費用と繰り返される盗難を考えると、リベルダーデ区の像で満足すべきなのかも。