【福岡県発】「第10回海外福岡県人会世界大会」が、今月6日から9日にかけて福岡県で開催された。22カ国・地域から母県を懐かしむ移住者とその子孫、駐在員ら約350人が集まった。今回ブラジル、ペルー、パラグアイからの参加者を取材し、家族の歴史や母県への思いを聞いた。
大会初日は初冬だったが、上着がなくても寒くない快適な日和となった。記念式典は博多市内のホテルで午後4時半に予定されており、開始30分前になると、各国からの参加者が会場のレセプションホールに続々と集まってきた。聞こえてくる談笑は日本語のほか、ポルトガル語、スペイン語、英語で交わされている。
世界大会は県人会同士の交流を目的に、1992年にアメリカのロサンゼルスではじまった。以来3年ごとに開催され、福岡での開催は今回で3回目となる。
福岡県の海外移住者数は約5万7千人で、広島、沖縄、熊本に次いで4番目に多い。県人会はそれら移住者とその子孫、駐在員らによって結成され、現在24の国と地域に39団体ある。
式典では小川洋福岡県知事が「みなさんは遠く離れた土地で海外との懸け橋として活躍している」と挨拶し、出席者に敬意を表した。その後、伝統芸能の「豊前神楽」や高校生による合唱が披露され、閉会後に歓迎レセプションが催された。
ブラジル県人会からは平山イナシオ秀夫会長を始めとする60人が出席。会員の宮崎尾崎ルシア浩美さん(59、二世)は、童謡「ふるさと」を高校生と一緒に合唱し、涙を流していた。
ルシアさんの父・尾崎守さんは農業をしながら、サンパウロ州サンミゲル・アルカンジョ市やイタペチニンガ市で生涯、日本語教師を務めていた。指導の一環として童謡を教えていて、「ふるさと」はそのうちの一曲だった。
守さんは娘に礼儀を重んじる教育を徹底していた。ルシアさんは36年前に県費留学し、その際に友人から「日本人より日本人らしい」と評されたことを今でも誇りに思っている。
守さんは6年前に脳卒中を患い、今年6月に亡くなった。発病してからは会話ができず、ルシアさんは「父がどのような思いで日本的な教育をしていたのか、元気なうちに聞いておけばよかった」と悔やむ。
「福岡は都会になったし外国人が増え、昔とは違う。それでも父と私にとってはずっと『ふるさと』。滞在中は父のこと思いながら過ごします」としんみり話した。今回の訪日を機に留学当時の先生や友人たちと30年ぶりに再会する予定だ。
同じくブラジルから参加した落合良子(りょうこ)さん(88)は3歳で渡伯して以来、初めて日本に帰ってきた。移住時はまだ幼かったため、日本の記憶は全くない。両親や兄弟を既に亡くしていて、日本に残った親戚がどこにいるのかわからなくなってしまった。
37歳のときに夫を亡くして以来、女手一つで息子を育ててきた。いつかは日本に行きたい、と思いながら、仕事と子育てに忙しく機会を失っていた。
今大会は息子に誘われ、家族5人で参加した。落合さんは「もう2度と日本の土を踏むことはないと思っていた」と言う。日本の印象を尋ねると、「物珍しいだけで懐かしさを感じることはないわ」としたうえで、「どこにいても家族と一緒に過ごせるのが一番よ」と穏やかに答えた。(つづく、山縣陸人通信員)