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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(174)

 ほとんどがアララクァーラ在住者で、法務所の要請に従い、6月27日、DOPSの署長は市の警察にその責務を命じ、当地警察は彼らにブラジル生まれの子弟がある証拠を届け出るよう要請した。要請に応じ、担当者はすぐに書類を提出した。
 8月5日、アララクァーラのヴィリアット・カルネイロ・ロッペス警察署長はそれらの書類をDOPSに送った。9月16日、保安局は法務省の内務法務局局長に「ブラジル生まれの子弟があり、子弟はその者たちの保護下にある」という証明書を送った。このようにして、正輝は国外追放の危機から脱出できたのだった。

 生活が次第に正常化されるうちに、臣道聯盟との関わりを忘れるようになっていた。だからといって、戦時中の仲間から遠ざかり、それまでの主義を忘れてしまったわけではない。仲間や道徳観念をそうたやすく忘れてしまうような男ではない。ただ、それまで守りつづけ、それを伝えようと努力してきた主義の本質が分らなくなっていた。自分や息子たちのために主義を変えたりはしない。
 そのために毎日、牢屋の中で臣道聯盟の仲間たちと歌った愛国心を駆り立てる「愛国行進曲」や日本帝国の不滅を唱える「紀元は二千六百年」、また、戦友について歌った「ここはお国の何百里」を歌いつづけている。故国の軍部敗北を認めたことで失ってしまった空虚さを埋め合わすものだ。臣道聯盟のように押し付けられた主義ではなく、宗教のように心のよりどころになる何かを求めていた。
 子どものころから、先祖を崇拝する沖縄の宗教観を持ちつづけ、その習慣を実行してきた。房子の見ている前で応接間に置かれた仏壇の前で毎日祈った。その仏壇には何年か前死んだヨーチャンの位牌が納められている。沖縄の習慣である一年に一度の死者への祈りを33年間つづけてきた。7年ごとの法事は大切な行事で、もうすぐヨーチャンの7回忌がやってくる。
 もう一つ大切な行事は、7月15日のお盆だ。大陰暦だから、お盆は毎年、日が決まっていない。日の違いを考えてか、あるいは昔からの習慣か、保久原家のお盆は毎年、7月16日にきめられている。他の沖縄の家族は7月15日だ。
 7月15日の2日前に行われる「迎え火」の習慣は欠かせない。先祖の魂の道しるべに家の戸口の前で焚き火をたく。お盆の間、たいていの沖縄の家、たとえ正輝の家のような仕来りにこだわらない家でも仏壇に食べ物や飲み物の供え物をする。お盆の次の夕方、また家の戸口の前で焚き火を灯す。送り火といわれ、魂をあの世に送り返すためだ。薪の煙が先祖の魂があの世に戻る道しるべとなるのだ。
 仏壇への供え物はどの家も同じようなものだ。サーターアンダギー(ブラジルの丸いドーナッツのようなもの)、人参とさつま芋を細切りにしたてんぷら、油あげの細切り、揚げた皮付き豚肉、ごぼう、細切れの鶏肉、豚肉、昆布、かまぼこ、干し大根(沖縄語でフシカブ)を煮た沖縄特融の「にしめ」など。菓子は蒸し饅頭、焼き饅頭、白餅、あんこ餅。家によってはこれ以外に、先祖の好んだ食べ物をそなえた。
 ただし、供え物の数は必ず奇数と決まっていた。皿に盛られる食べ物も奇数、多彩な材料でも皿に盛るときは奇数と決められていた。仏壇に供えることをウサギンと呼んだ。