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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(1)

 移民は新潟県からきても広島県からきても、県が違うだけで、日本本土からきた移民といわれる。また、歴史的、地理的に条件のいい移民もいた。たとえば鹿児島県からきた移民は絆がつよかったし、徳川時代には中央政権からある程度自立していたので、移民についての制限が寛容でもあった。
 しかし、沖縄出身の移民はまったくちがっていた。肉体的にも、文化的にも、経済的にも社会的にも大きな差があった。皮膚は浅黒く、髭は濃く、体は筋肉質だった。言葉はことなり、生活習慣も遅れていた。内地人との違いは場所、文化、歴史の差ではなく、人種そのものの違いなのだ。

 ブラジルにきてから、正輝は「沖縄サン」とよばれた。何度もとびかかっていきたい思いをした。「さん」は目上、年上、他人につかう敬語だが、「沖縄サン」の場合には、軽蔑や卑下が入っているのだ。
 日本人の正輝はブラジル社会において少数民族だ。そして臣道聯盟の会員だったことで、まわりから悪人とみられている。また内地人からみれば沖縄人は少数派だ。ブラジル人の間でも日本人の間でも、とるに足らない少数派なのだ。そして、いま、日本の敗戦によって沖縄の家族のもとに帰ることもできなくなってしまった。

 正輝は日本人、沖縄人の生き方を捨てるわけではなく、家庭をもったときから築いてきた日本精神の一部を失うことになっても、自分をはじめ房子や子どもたちができるだけ早くブラジル社会に溶け込まなければ、ここで生きていくことが困難になる。
 だが、それは決して不可能なことではない。狭い日系社会の少数派とひて生きるよりも、広いブラジル社会の少数派として、生きるほうが将来のびる可能性がずっと大きい。彼は後の方を選んだ。

 ブラジル社会に溶けこむために、手始めに日本人がしたのは、たとえ形式的ではあってもカトリックの信者になることだった。決して、信念をもって改宗したわけではない。正輝は本を通して感銘をうけた「生長の家」の信者になろうと考えていた。しかし、学校の生徒の大半はカトリックの家庭の子どもだった。見た目のちがう自分の子らが、さらに宗教も違うとなれば仲間には入れてもらえない。違いが多ければ多いほど、とけこんでいくのが困難となり、ひいては将来ブラジル社会で活躍することなどできなくなる。
 正輝がその必要性を感じのは、長男のマサユキが小学校を卒業したときだった。卒業式はカトリック教会で行われ、それは神への感謝のミサだった。
 出席者はカトリック信者で、みな洗礼を受けていなければいけなかった。洗礼は子どもと名付け親の絆をむすぶ大切な儀式だった。実父母と代父母の関係が深まるように、父親は尊敬する人物を名付け親になってもらい、将来、子どもに有利にはたらく名士を選んだりした。
 マサユキの場合、彼が生まれたときから名付け親は決まっていた。房子の不妊を解消してくれたヴァンベルト・ジーアス・ダ・コスタ医師に名付け親になってもらっていた。アキミツもすぐ小学校を卒業するし、下につづく子どもたちにも洗礼を受けさせなくてはならない。マサユキのように卒業式のミサに出るためにはどうしても洗礼をうけさせる必要があるのだ。