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サントス強制退去の証言=その日何が起こったのか=(1)=銃を持った警官が退去命令

サンゴンサーロ教会で行われたミサの様子

 第2次世界大戦中の1943年7月8日、サントス沿岸一帯に住む日本人移民6500人を中心とした枢軸国の移民に、サンパウロ州政治警察から24時間以内の退去命令が下された。着の身着のまま住居を追われ、土地や家財の処分もできず、外出していた家族と生き別れとなった人もいた。日系社会では戦後70年以上にわたり、この事件を公式に問題視せず、過去のものと葬り去ってきた歴史がある。だが実際、その時に何が起こったのか――沖縄県人会の協力を得て当事者へ取材し、当時の証言を集めた。

 「同じ過ちを二度と繰り返してはならない」。今年7月14日にサンパウロ市セントロのサンゴンサーロ教会でサントス強制退去事件を追悼するミサが行われ、沖縄県人会を代表してブラジル沖縄県人移民研究塾塾長の宮城あきらさんがそう強調した。

宮城あきらさん

 歴史の闇に埋もれていたこの事件に関して、掘り起こしの機運が高まったのは16年8月。映画監督の松林要樹さん=沖縄県在住=が旧サントス日本人学校を訪ねた際、なにげなく机に置かれていた「強制立ち退き時のサントス在住日本人名簿と立ち退き先」を見つけたことだった。
 その名簿には585世帯の名前が書かれており、約6割の375世帯が沖縄県人移民だった。知らせを受けた宮城さんと勝ち負け抗争を描いたドキュメンタリー映画『闇の一日』の監督の奥原マリオ純さんらが、各々がこの事件の調査・究明を行うために動き始めた。本紙でも樹海コラム13年4月17日付にあるように、この問題をもっと重要視すべきと度々書いてきた。
 宮城さんは、この名簿をもとに同塾で出版している同人誌『群星(むりぶし)』の第3~5号で当時の証言を集めて掲載。また奥原さんは15年12月に連邦政府に対し、損害賠償を伴わない謝罪要求訴訟を起こしていた。これには昨年、沖縄県人会も支援することが全会一致で承認されている。公の日系団体が初めてこの運動への支援を決めた。

奥原マリオ純さん

 サンゴンサーロ教会でサントス強制退去事件のミサが行われるようになったのも、奥原さんの働きかけだ。当日は奥原さんと共に、沖縄県人会の上原ミウトン定雄会長、宮城さん、島袋栄喜前会長も参列し祈りを捧げた。
    ◎
 この事件は、1937年から45年までのヴァルガス独裁政権のもとで起こった。日本人は敵性国民として弾圧されていたが、サントス沖の独潜水艦による貨物船魚雷撃沈事件が引き金となり、国防上の脅威として枢軸国民のサントス強制退去が命じられた。
 その日、人々は武装警官による監視の下、家族同士の連絡さえとれずに、身一つでサンパウロ市の移民収容所に収容された。実際はどのような状況だったのだろうか。
 「あの日、ライフル銃を所持した2人のブラジル人が、退去命令を言い渡しに家へ来ました」。今年5月31日、宮城さんと上原会長、島袋さんの協力を得て、沖縄県人会本部で佐久間正勝ロベルトさん(83、二世)に取材を行うと、当時の生々しい状況を語り始めた。(つづく、有馬亜季子記者)


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 サントス強制退去事件の名簿を発見した松林要樹さんはブラジル滞在中に、サントス強制退去事件を体験した人たちへインタビューを行い、ドキュメンタリー番組を制作した。これは近いうちに日本のテレビ局で放送される可能性があるという。番組名や放送日時が分かり次第、お知らせする。放送される際は、歴史に埋もれてはならない重要な事件としてぜひ観てほしいところ。