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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(188)

 市場業者は貧しく、学歴も低いのに対して、お客さんは何でも買える立場にある。農民は都会人より恵まれない状況におかれている。ファニー先生はあの市場のマサユキに気づいたのに、ごくあたりまえにふるまい、優しく扱ってくれる。そのことがマサユキのフランス語習得にプラスとなり、クラスで一番の成績を上げる結果となっていた。友だちに「ボンジュール コマン セレヴ?」と挨拶したりした。
 興味深いのはラテン語の先生だった。ラテン語は難しいだけでまったく面白みのない科目だった。マサユキは「どうして、死んでしまった言葉を覚えなくてはいけないのだ?」と文句をいった。ラテン語がポルトガル語の文法を理解する根本的な言語だということを知らなかったのだ。
 先生はマノエル・ルシアーノ・デ・フレイタスという名だった。生徒のほとんどが一番目の語尾変化を暗記できていなかった。それにつづく語尾変化など全く無視していた。それなのに、先生の名前のマノエルをマネクンと見事に語尾変化した。先生はいつも同じ服を着ていた。たぶん、その背広一着しかもっていなかったのだろう。服装にケチなのと同じように採点にもケチだった。生徒たちのあざ笑いを承知していて、そのお返しとして厳しい採点でみんなを威した。生徒全員を2次試験にまわした。次の学年に進級するために1年間の学科を短時間で猛勉強させられることになった。
 アララクァーラの州立高校のマサユキのクラスの生徒が、ラテン語の先生や他の科目の先生に対する態度は同じだったが、生徒は一律ではなかった。まず年の差だ。経済的、あるいは社会的理由で小学校に遅く入った子どもがいる。田舎で学校のないところに住んでいて、他所に移ってから入学した子ども、中学入学試験になかなかパスできなかった子ども、あるいは小学校のとき、落第した子どもなどが同じクラスにまざっていたのだ。
 クラスのほとんどはアララクァーラ生まれだが、マサユキのようにタバチンガなどの別の町で生まれた子どももいる。シディネイ・サンシェスはサン・カルロスとボア・エスペランサ・ド・スルの間の小さな町リベイロン・ボニート生まれだ。アララクァーラ生まれはメーガーじいさんの末息子、津波ルイース、正輝と政治論議を交わす湯田幾江の息子、湯田ツネオそのほかジョゼー・セルソ・マルチーネス・コレイア、イナシオ・デ・ロヨラ・ロッペス・ブランドン、従兄どうしのアントニオ・マルコス・ピメンタ・ネベスとプリーニオ・ピメンタ、それに、もとマサユキが通った小学校の教師、マリア・デ・ルールデス・アゼベード・サリーナスの甥、ルイス・ロベルト・サリーナス・フォンテスなどだ。一級上にはオリンピアから住み移り、ここに住みついた連邦税務署の署長の息子マルコ・アントニオ・ロシャがいた。彼はマサユキのほとんどの同級生とつき合っていた。
 おもしろいことに、ラテン語の先生マネクンの息子とマサテルが友だちになった。彼はマサテルが州立高校に入ってすぐに通い始めた公民図書館で働いていた。授業は午後からだったが、家を早く出て、一時間ほど図書館で本を読んだ。図書館の2階から学校が見えた。彼はそこにある冒険小説の全蔵書を読みつくした。
 ファニイ先生はマサテルのフランス語の成績には満足していたが、ポルトガル語の弱点を気にしていた。発音にも問題があったが、なによりも文章を作る際、日本語が大きく影響していると感じていたのだ。文法上、音声上の間違えではないがポルトガル語として奇妙なのだ。