「追い風を全く生かし切れなかった」。ボルソナロ政権の1年目を評すると、このような感じか。就任1年目の12月の時点での同政権の支持率は30%で、不支持率は36%(ダッタフォーリャ調べ)。これは、1990年以降の選挙で選ばれた大統領の、就任1期目の1年目の数字としては過去最低となった。なぜ、そんなことになってしまったのか…。これから検証していくが、コラム子的には「不戦敗」とでも形容したいものだ。
これ以上ない最高の状況だったバトンタッチ時
そもそも、ボルソナロ氏の大統領当選は最高のタイミングだった。2013年のサッカー・コンフェデ杯のときに起きた大規模デモ以来の、国内の政治的動乱の終焉を感じさせる空気がそこにはあった。
ジウマ政権末期に底の底まで後退した景気を、前任のテメル大統領には回復軌道へ乗せるところまで上げてもらった。選挙時に最大の懸案とされた社会保障制度改革は、テメル政権時に一度はまな板にのせられたおかげで、ロドリゴ・マイア下院議長にも勝手がわかっていた。
経済相には国際市場の受けのいいシカゴ学派のパウロ・ゲデス氏が予め決まっており、経済が苦手なボルソナロ氏にとっては、またとない恩恵だった。
ボルソナロ氏はネット上では、これまでの政治家に見られなかったような熱狂的な支持があった。そこに、国民の関心が高かった「汚職対策」の切り札として、ラヴァ・ジャット作戦の担当判事セルジオ・モロ氏を法相に迎えた。この組閣の時点では人気が高く、支持率も50%を超える状態にあった。
自身への甘さ、イデオロギー、議会対策不足
だが、ほころびは就任まもなくやってきた。ひとつは大統領の息子フラヴィオ上議の、リオ州議時代の職員ファブリシオ・ケイロス氏の口座に長年行なわれていた幽霊職員たちからの過剰振込疑惑だ。もうひとつは、大統領所属(当時)の社会自由党(PSL)のマルセロ・アントニオ観光相が絡んだとの疑惑を持たれている、幽霊候補を利用した政党支援金の不正受給問題だ。
これらに対してのボルソナロ氏の態度が甘く、大統領選時に訴えようとしたクリーンなイメージに反した。
続いて、大統領自身がこだわろうとし過ぎた「左派嫌い」の傾向が、人権や教育の分野で特に問題として噴出し、足を引っ張った。
ダマレス・アウヴェス人権相は「男の子は青、女の子はピンクの服を着る時代になる」と発言し、リカルド・ヴェレス教育相(当時)は「クーデターも軍政もなかった」とする歴史教科書を採用しようとして大問題に。さらに代わったアブラアン・ウェイントラウビ教育相が、左派寄りの連邦大学への支出を大幅削減しようとしたため、5月には大規模デモが起こった。
さらに、大統領自身の連邦議会対策への甘さも露呈された。ボルソナロ氏は、それまでの政権がやってきた政党連立を「古い政治手法」として拒否し、自身に有利な法案は自分の所属する「銃」「農林」「福音」といった超党派議員グループをまとめることで乗り越えようとした。
だが、これらのグループは政党に比べれば結束がまるで弱く、結果、大統領が通したい法案は軒並み議会で惨敗した。所属のPSLも下院最大勢力とはいえ、513人中わずか50数人で、しかもほとんどが以前に政治経験のない議員ばかり。これでは、どうにもならなかった。
傷ついた「正義の味方」のイメージ
さらに6月には、連邦政府の看板だったセルジオ・モロ法相がそのイメージを汚された。ハッカーが携帯電話のアプリの通信記録から盗み出した会話の内容が、世界的著名ジャーナリスト、グレン・グリーンウォルド氏によって暴露されたのだ。
それにより、モロ氏が判事の立場でありながら、デウタン・ダラグノル主任をはじめとしたラヴァ・ジャット作戦の検察チームと癒着していたこと、ルーラ元大統領を有罪とする際に本人も自信のない強引な理論を使っていたこと、カルドーゾ元大統領やエドゥアルド・クーニャ元下院議長の捜査や証言聴取を渋るなど、政治的な選り好みをしていたことが発覚してしまった。
結局これが致命傷となり、11月には「2審の有罪判決では刑執行にはならない」との最高裁判断をくだされ、かつてモロ氏自身が1審で有罪にしたはずのルーラ氏の釈放を招くこととなってしまった。この頃には世論の大半も「最高裁判断は正しい」という風に傾き、ボルソナロ氏当選当時の「労働者党(PT)がブラジルを壊した」のイメージもだいぶ薄らいだ。
8月以降は国際的有名人に
そしてボルソナロ氏は8月から、国際的に知名度が一気に高まった。それは、アマゾンの森林火災が拡大し、その影響で遠く離れた聖市の空が曇り、NASAのレーダーでブラジル上空から黒い煙が確認されるほどの事態となった。
これが、アマゾンでの森林伐採をボルソナロ政権が推進した結果と国際的に報じられると、ボルソナロ政権は国際的な槍玉にあげられた。それに対して大統領が、「他国はアマゾンの利権がほしいからそんなことを言っている」「欧州は植民地主義的な態度で自分たちに不平を言う」などと返答したため、火に油を注いだ。これでフランスのマクロン大統領をはじめ国際的に敵を作り、国内での支持率もこの時に急落した。
さらには、アマゾンの件で政権批判を行なった俳優のレオナルド・ディカプリオ、16歳の環境活動家グレタ・トゥーンベリさんを批判する発言を行ない、そのたびに良くないイメージで国際的知名度が高まった。
内部分裂、そして崩壊
ボルソナロ氏の味方と思われていた勢力が内部分裂を起こし、それが10月以降に激化した。
年の前半から、大統領選の選挙参謀だったグスターヴォ・べビアーノ氏、軍からの信頼の厚かったカルロス・アルベルト・ドス・サントスクルス氏が相次いで解任された。原因は、連邦政府を影で仕切っていた大統領次男カルロス氏との対立だった。
すると10月、その対立はPSL党全体にまで拡大した。同月初旬、ボルソナロ氏は同党への不信感を口にし、離党の意向を発表。これに同党党首ルシアノ・ビヴァール氏が激怒し、抗争となった。
ボルソナロ氏は、米国大使起用案が国民に不評だった三男エドゥアルド氏を強引に下院リーダーにするよう暗躍したりと、党内の掌握を図ろうとするも失敗。11月には新党「ブラジル同盟」(APB)の結成を宣言するに至った。
その過程でPSLの議員、元議員らとの対立は激化。11~12月の下院でのフェイクニュース議会調査委員会では、アレッシャンドレ・フロッタ下議、ジョイセ・ハッセルマン下議といった、かつてボルソナロ氏を熱烈に支持していたことで有名になった人たちから内部暴露が続いた。特にやり玉に挙がったのが次男カルロス氏で、ネットに於けるリーダーとなって、大量のフェイクニュースを使って政敵に精神的攻撃を行なっていた疑惑が明らかにされた。
さらにカルロス氏は同じ頃、昨年3月のマリエレ・フランコ・リオ市議殺害事件に関与した疑いも浮上。その結果、絶大な影響力を持っていたネット界から一時的に姿を消す事態に陥っている。
結局、1年を通して何をしたか?
ボルソナロ政権で1年を通じて話題になったことを、ざっと振り返ってきた。「この間に、ボルソナロ大統領本人が政治的にどんな成果を上げたのか?」となると、今ひとつ答えが見えてこない。
思い浮かぶとしたら、極右思想家オラーヴォ・デ・カルヴァーリョ氏からの影響や、福音派に気をつかった反動的なモラルの持ち主の役職指名と、それに伴う物議を醸した政策くらいしか思いつかない。国民の大半が「良い」と認めるような「本人による政治的な成果」を思い浮かべようとしても、正直言って難しい。
経済は経済省や議会に任せきりで自分の考えが見られず、外交においても保守政党の国としかつきあおうとしない態度は、「連邦政府スタッフやマイア下院議長に諭されてやっと何とかする」というイメージだ。
結局、自身の政治手腕で何を出来たかのアピールができず、周囲の人物のスキャンダルや、自身の舌禍と対立で一方的に足を引っ張られた。
つまり、戦わずして、自分から勝手に敗戦を続けた。いわば「不戦敗続きの1年」だったように思う。
就任2年目では、果たしてそのメージを少しでも変えることができるか。気になるのは、三男エドゥアルド氏の、軍政時代の悪名強い軍政令第5条(AI5)発言など、年の終わり頃に暴力的な発言が相次いだこと。こうした発言は、理論でまとめられなくなって精神的に焦ったときに出がちだ。もう、そこまで追い詰められた状況なのか。
幸いにも、経済状況に回復の兆しが続いているため、そこに希望を託している国民も少なくない。その希望がどこまでキープできるかが2年目に向けてのカギだろう。(陽)