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【2020年新年号】移民の五臓に日本酒を=ブラジル産酒『東麒麟』に歴史あり

販売当初の東麒麟(AZUMA KIRIN社提供)

 1935年頃、日本人移民の間では度数が高く安価なピンガが常飲され、健康被害が問題視されていた。
 三菱財閥三代目総帥・岩崎久弥が1927年に創設した東山農場はその現状を憂慮し、カンピーナス農産加工会社を設立し、「日本人ニ適スル酒精飲料」の開発、つまり日本酒『東麒麟』の製造に乗り出した。
 しかし、気候と設備不足から品質は安定せず、現地日本人の間では「東麒麟」ではなく、「アタマきりん」(飲むと頭に痛みが来るという意)と言われていた。
 そこで加工社は品質向上を期して新工場の建設を決定。日本のキリンビール社に協力を仰ぎ、同社から1975年に出資と製造経営面での協力を受けた。さらにキリンビール社は当時販売特約店の関係にあった小玉醸造株式会社に技術指導を依頼。加工社の技師が小玉醸造に派遣され、醸造に関する技術指導を受け、工場設計の詳細な資料が提供された。

1975年に販売された「東麒麟特級(金ラベル)」の広告

 1976年、新工場が完成し、落成式に参加した小玉順一郎社長(当時)は「新工場の製造能力は年間約三〇〇〇石。品質も従来のものより数段進歩しアタマきりんの悪名は脱した」と同社紙にて語っている。
 その後、加工社はキリンビール社の子会社となり、社名を「東山農産加工有限会社」に変更。15年にはキリンホールディングス社の100%子会社となり、翌年に社名を「AZUMA KIRIN」に改めた。
 現在、『東麒麟』は普通、吟醸などの品質別、火入れをしない生酒タイプや炭酸ガスの入ったスパークリングタイプを展開。国際品質評価機関モンドセレクションから「優秀品質金賞」を受けるなど品質を向上させている。

現在販売中の東麒麟の一部(AZUMA KIRIN社提供)

 AZUMA KIRIN社の尾崎社長は、「日本人移民のために『東麒麟』が製造され始めてから今年で85年が経ちます。今では日本人移民のためだけでなく、ブラジル社会へ清酒の魅力を伝えることも重要な使命となっています。サケピリーニャ(清酒を使用したカイピリーニャ)の流行で、清酒の需要は大きく増えましたが、その奥深さはまだ伝え切れていません。これからも、製品を通じてしっかりとブラジル社会に清酒の素晴らしさを伝えていきたいと思います」と語っている。