「女性が男性を率いることができないという概念を覆してほしい」――大きな変化を求めるブラジル柔道連盟から、2020年東京五輪のブラジル男子代表監督という大任を依頼された時、藤井裕子さん(37、愛知県)は、そう口説かれた。16年のリオ五輪で藤井さんが女子代表の監督を務め、ラファエラ・シルバ選手(27)が金メダルを獲得したことは記憶に新しい。今度は男子選手を率いて柔道宗主国、そして祖国日本で金メダルを目指す。
▼柔道一本の道から留学
「いま国際合宿中で、日本にいるんですよ。先日は静岡県、今日は関西圏に滞在しています」。19年11月25日午前(日本時間午後)、記者の電話取材に対し、藤井さんは穏やかな口調でそう語った。顔は見えなかったが、落ち着いた声色で一つ一つの質問に真摯に答える姿勢が印象的だ。
〃男子代表チームを率いる女性〃と聞いて大柄な女性を想像したが、新聞記事やテレビで見た藤井さんは小柄だ。だが意志の強そうな鋭い眼差しで指導する姿は、体格の差を微塵も感じさせない。
指導者になろうと決めたきっかけを聞くと、意外にも「なろうと思っていた訳ではなかった」という。今の人生は、想像もしていなかったものだというのだ。
藤井さんが柔道を始めたのは、5歳の頃。母親と共に接骨院を訪れた際に、柔道の先生と出会い、「体が大きいから」と勧められ柔道を始めると、その楽しさの虜になった。
地元愛知県の中学校で3年生の時に、全国中学校柔道大会の56kg級で2位となった。これをきっかけに、柔道一本の人生を志す。高校に進学後は、全国高等学校柔道選手権大会で3位の成績を収めた。
しかし、広島大学教育学部を卒業し、大学院教育学研究科を修了する頃には、現役選手を辞めることに。その時に指導者の道を歩もうとしたのかと尋ねると、「人に教えることに興味がないんですよね」と笑う。
藤井さんは次の人生を考え、昔からの夢だった語学留学を叶えようと決心。07年5月にはイギリスへ飛び立ち、首都ロンドンから電車で1時間半ほどにあるバース大学へと入った。
▼指導者の才能開花
バース大学で英語を学びながら、縁がありアルバイトで柔道を教え始めた。そこで、指導者としての才能が開花する。藤井さんの指導方針は、「選手に寄り添い手を貸す」というものだ。
「選手の悩み、つまずき、どういう言葉をかけたら上手くいくのかを考えます。小さな技術を教えるだけで、選手がガラっと変わることもある。そういった技術等を教えられるのは、日本で柔道をしっかり教わってきた強みですね」。
成果を上げ、徐々に指導者としての評判が知れ渡ると、英国ナショナルチームから声がかかった。この時に、初めて指導者としての道を歩む覚悟を決めた。
オファーを受けたのは、ロンドン五輪出場を控える女子代表チームの技術監督。当時はルールの改正があり、日本柔道の技術を身につける需要が出てきていた。一対一や、若手のグループに技術レッスンを行い、地道な練習を重ねた。
その甲斐あって、イギリスは12年ぶりに女子代表が銀メダルを獲得するという快挙を成し遂げた。一方、藤井さんがブラジルの柔道チームと接点を持ったのは、ロンドン五輪前だったという。
「次の五輪開催国だったブラジルが、イギリスと情報交換を行う中で、目に止めていただけたそうです」。その指導力の高さに注目したブラジル側は、リオ五輪のテストイベントの時に、藤井さんに代表監督のオファーをかけた。
日系ブラジル人の多い愛知県で育った藤井さんだが、それまでブラジルとの接点はあまりなかったという。「小学校のクラスメートにブラジル人の子がいましたね。あとは、愛知県の柔道界にはブラジル人が多い印象がある程度でした」。
ロンドン五輪後に返事をすることになり、まずは試合に集中した。この年、ブラジルは女子柔道の48kg級で初の金メダルを手にした。最終的には、ブラジル最多の4つのメダルを獲得。
「こんなエネルギーのある国で、私に何ができるだろう」。そのような思いが頭をよぎった。だが、与えられたチャンスに挑戦するため、藤井さんはブラジル女子代表コーチを引き受けた。
▼ブラジルに根付いた「日本の柔道」
藤井さんはロンドン五輪後の13年に渡伯し、リオデジャネイロに住み始めた。指導場所は、リオ市バーハ・ダ・チジュカ地区マリアレンク・アクアティックセンター内にある道場。現在は同地の近くに住み、専業主夫の夫と2人の子供と共に暮らしている。
ブラジルの柔道は、「日本の柔道が根付いている」という印象だ。柔道を通して、日本の文化や考え方に接することも多い。挨拶や人を敬う姿勢、練習の取り組み方、利他的な心。柔道家だという意識が強い彼らを、藤井さんは「心意気があり、〃かっこいい〃人間が多い」と表現する。
「柔道は、最初に〃人に敬意を払う〃ということを学ぶ。楽しむだけではなく、厳しい修行を通して人間を成長させていくスポーツ。その精神が、彼らには根付いています。これは日本人移民の方々がブラジルへ伝えたもの。繋げていかなければいけない」。
もちろん、柔道だけではなく、日本人移民の影響はそこかしこで感じている。「親日家が多く、両手を広げて受け入れてくれる。私達がお世話になっているブラジルの人たちに対して、110年前にここへ来た日本移民がどれほど貢献されたのかを、ひしひしと感じさせられました」。
▼ブラジル柔道の成功物語
ブラジルは地域ごとの個性が試合のやり方に出ているという。「南部は戦争を経験した民族だから喧嘩っ早くて勝ちたい意欲が強い。サンパウロは柔道を綺麗にやりたがる。リオは勝てば良いという考え方。北東部は身体能力が高い選手がポンと出てくる。そして最もハングリー精神が強いのは、ファベーラ(貧民街)の選手です」。
日本、イギリスと先進国の柔道と触れ合ってきた藤井さんが、ブラジルに来て初めて感じたのは、『スポーツでの成功物語』だった。それを痛切に感じさせた選手の一人が、ラファエラ・シルバ選手だ。ファベーラ出身、黒人…様々な壁がある中、ラファエラは全ての人、とりわけファベーラの子供たちに大きな夢を与えた。
「ファベーラの子供たちは、ファベーラで生まれて死んでいく。悪の道に進むのが容易な世界。彼女は柔道を通して、ファベーラの外の世界を見せた。日本ではありえない、ブラジルならではの成功物語です」。
だが、初めて出会った時のラファエラは、代表チームの中でも異端児的な存在だった。試合好きで身体能力があり、成績は残すが、練習嫌い。指導者からは可愛がられず、どこか持て余されている印象があった。だが頭が良く、自分に必要な練習は何かを本能的に知っており、何より目は「柔道が大好き」と語っていた。
「彼女に必要なものを教えると分かれば、体が勝手に反応している。目の色を変えてやる。彼女がやる気になるポイントが分かり、そこを押さえれば、どんどん伸びていく選手です」。
ラファエラの信頼を勝ち得て根気よく指導し、愛弟子をリオ五輪の舞台へ送り出した。そして、ラファエラは見事に自分を出し切り、ブラジル勢に地元リオ大会初の金メダルをもたらした。支えてきた藤井さんも号泣し、ラファエラと共に喜んだ。
ラファエラは、2019年9月20日の記者会見で、ドーピング検査に引っかかったことを認めた。理由は、友人の子供が使用していたぜんそくの治療薬の可能性があると主張している。藤井さんは、「彼女は十分強いし、誰よりも厳しくドーピングに気を付けている人。私は彼女を信じている」と語った。
▼世界大会の男女混合団体戦で銅メダル
2018年5月、藤井さんはブラジル柔道連盟から男子代表チームの監督のオファーを受けた。この頃のブラジル男子柔道は、世代交代が上手くいかずに低迷していた。藤井さんは「資金が少なく、若手を育てることができていなかったのでは」と推測している。
藤井さんの実績に注目していた連盟は、「我々が必要しているのは変化だ。あなたは外国人だけど、ブラジルの人たちが持つ『女性が男性を率いることができない』という概念を覆してほしい」と依頼し、藤井さんは監督を引き受けた。
メディアには何度も聞かれたであろう「男女を指導する違いはあるか」という質問には、「あまり感じていない」と即答した。性別の壁に、藤井さんのスタイルは影響されない。元々一人一人の選手に合わせる指導方法だ。「それぞれ性格が違うから、指導のやり方が違ってくるのは当然です」。
若手に力を入れて指導してきたことが功を奏し、少しずつ選手が育ってきている。2019年8月25日~9月1日まで開催された世界柔道選手権大会では、個人戦のメダルは叶わなかったが、男女混合団体戦で銅メダルを獲得。この結果は次に繋がるものとして、ポジティブに受け止めているという。
五輪で注目している有望選手は、一定してメダルを取れる100kg超級のラファエル・シルバ選手。そして66kg級のダニエル・カルグニン選手も「勝負師で試合向きの選手。意気が良く、向上心も高い」と期待している。
もちろん、目指すのは東京五輪でのメダル獲得だ。個人個人のレベルを上げていくためにも、1日も無駄にできない。藤井さんは、「最近は精神論ばかり語っている気がしますね」と笑う。
▼ブラジル柔道界の重鎮から激励
藤井さんの前に男子代表の監督を務めたのは、日系三世の篠原準一さんだった。その父、篠原正夫さんは、「南米初」の十段取得者。藤井さんはその道場へ行き、指導することもあった。
彼ら以外にも、ブラジルの柔道界で有名な日本人柔道家と接している。そのうちの一人は、ブラジル柔道界に初五輪メダルをもたらした石井千秋さんだ。リオ五輪の前にはコーチに来てもらったこともあり、「パワーがすごかった。16年のリオ五輪直前合宿では、デモンストレーションで相手が吹っ飛んだ」と印象を語る。
そんな石井さんと共に招かれ訪れたのが、19年10月に急逝した故関根隆範さんの自宅だった。その時については、「朝から晩まで、お酒を飲みながら柔道の情報交換を行って、とても楽しい時間を過ごしました」と懐かしい思い出を振り返った。
急逝の知らせには、ただただ驚いた。柔道を学校教育に導入する取り組みを行っており、藤井さんにとっても「元気にされていたのに、こんな早くに亡くなるとは」とまさかの出来事だったと、悲しみと共に語った。
2019年12月7日、日本で亡くなった関根さんのお別れ会がニッケイパレスホテルで開かれた。そこには、石井さんとかつてブラジル柔道の代表監督を務めた岡野脩平さんが出席していた。
石井さんは、藤井さんについて「非常に頭が切れ、柔道をよく勉強している」という印象を語り、「彼女の持っている技術、試合のやり方などはとても良い。今の男子選手は正直あまり強くない。五輪までにどこまで鍛えられるか」と期待し、東京五輪にも観戦に行きたいと思っている。
ブラジル柔道の歴史を石井さんと共に作り上げてきた岡野さんも、男子柔道監督への藤井さん就任に対し、「彼女の今までの実績、見識、技術、練習方法は十分に男子に通用する」と語る。ブラジル柔道男子代表監督の先輩として、「あとは結果を出すしかない」とし、東京五輪のメダル獲得で子供たちに夢を与えることを期待した。
▼東京五輪は「全力を尽くす」
藤井さんは、東京五輪について「選手にとって他の五輪とは異なる意味も含んだ闘いになる」と語る。日本は柔道宗主国、そして五輪の柔道が始まったのが、東京五輪だからだ。その舞台で、大きく成長したブラジルの選手らを見てもらう。それに向けて、今は必死に準備することしか頭にない。
日本の柔道連盟からも、日本、そして世界柔道の発展につなげるために、全力でやってほしいと激励された。藤井さんが監督を務めていることもあり、日本で応援してくれている人も多いという。
以前、1972年にドイツのミュンヘン五輪で初のメダルを獲得した石井千秋さんに、「ブラジル選手としてメダルを獲った後、日本の人から裏切り者扱いされた」という話を聞いた事があった。藤井さんにもその事について尋ねると「迷いはない。万が一何か言われたとしても構わない」と即答した。
スポーツ界の慣習にも、選手と共に打ち勝ってきた。「相手に全力を尽くすのが、最大のリスペクト。外国人、女性を男子の監督に選んでくれた連盟のためにも勝つ。それが私の使命です」と力強く語った。
東京五輪における柔道の試合は2020年7月25日~8月1日(日本時間)に行われる。藤井裕子さん率いる男子代表、そして前回率いた女子代表選手の活躍に大いに注目したい(有馬亜季子記者)。