正義の味方としてハリウッドで映画化?
3日晩、ブラジルのTVクルトゥーラの看板ニュース番組「ジョルナル・ダ・クルツーラ」でカルロス・ゴーン被告報道に関して、二人の専門家は対極的なコメントを発していたのが気にかかった。
今回の逃亡劇に関して、どのニュースでも「映画のような」「スペクタクルな脱出」という言葉が枕詞のようについて報道された。
女性司会者から「ゴーンが脚本に口を出したような彼側からみたストーリーのハリウッド映画を、そのうち見るようになると思いますか?」と問われたアラブ史とパレスチナ史の専門家のアルレネ・クレメシャUSP教授(Arlene Clemesha)は、「実際の出来事に基づいてロマンスを入れたストーリーにされたとしても、嘆かわしいことにブラジル人。このような不正は許されるものではない」とゴーン氏を否定した。
中東の歴史に関する深い見識を持つ専門家だけに、アラブ系移民子孫であるゴーン氏に対して厳しい見方をしていた。また当日の番組の中は、米軍によるイラン司令官殺害を強く非難していた。
ゴーン被告は欧米のメディアとの距離が近いと予想され、日本側の意図と違った報道のされ方をする可能性がある。3日付けエスタード紙には、この逃亡劇をハリウッドで映画化する話まで出ているとの記事「ハリウッドがゴーンの陰謀に加担」まで出ている。
同紙はニューヨークタイムス紙の記事を引用し、ゴーン被告は昨年12月に東京でハリウッドの有名映画プロデューサー、ジョン・レッシャー (John Lesher)と面会していたと報じた。映画『バードマン あるいは』(14年)のプロデューサーの一人として第87回アカデミー賞作品賞を受賞した人物だ。
問題は、その映画でゴーン被告が「正義の味方」として描かれるかどうか、だ。
有名コメンテーターが「ゴーンの容疑に疑問」
同ニュース番組の司会者はもう一人のコメンテーター、マルコ・アントニオ・ヴィラ氏(Marco Antonio Villa)にも質問をふった。
彼は歴史学者(元サンカルロス連邦大学教授)だ。反PTの急先鋒として、ラヴァ・ジャット作戦の最初からルーラ大統領断罪を訴えて、ルーラ本人から裁判にかけられながらも主張を一切曲げなかった強者だ。
最初は誰もが「過激すぎる」と思っていたルーラ逮捕という彼の主張は、最終的に現実になった。その経緯から、彼のフェイスブックには49万人ものフォロアーがおり、影響力を持つ人気コメンテーターだ。
そのヴィラ氏は「ゴーンが日本で逮捕された容疑のいくつかに疑問がある。ちゃんと説明されていない。この事件にはすっきりしない部分がある。多くの人はこの容疑自体が疑わしいと思っている。彼は『日本の司法制度は不正義なことをしている』と指摘しているが、それには聞くべき部分がある。我々はこのような複雑な問題の場合、簡単に先入観を持たず、注意深く観察しなければいけない。私の見方では、日本国内の現実の中で政治的、経済的な力が働いて、司法による迫害を受けているような印象を受ける」と疑問を呈している。
それを聞いて、日本側の情報がポルトガル語で伝わっていないことを痛感した。
今回もブラジルの新聞やテレビでは、欧米の通信社の記事がポルトガル語に翻訳されて掲載されている。つまり、欧米側の視線に偏っている可能性がある情報だ。一部、NHKのニュースも利用されているが、断片的な情報だけ。記事の流れは欧米の視線だ。
そのほか、エスタード紙においてゴーン被告の記事が掲載されるのは、最初から国際面ではなく、経済・事業面であることも気になる点だ。
国際面(Internacional)であれば、善悪や正義・不正義の問題、法律違反を犯した経済犯の国際刑事事件として扱われている。だが、経済・事業面(Economia & Negocio)であれば、良くも悪くも「ビジネス的な案件」「経済的な交渉事」というニュアンスが漂う。
「遺憾だ、遺憾だ」では通用しない国際世論
1月3日付けメルマガ「アメリカ通信」(本紙4日付6面に転載)で、山岡鉄秀氏が「カルロス・ゴーンの逃亡をチャンスと捉えよ!」と語っているのを読み、膝を叩いた。ゴーン被告が今週記者会見を開いて、次のような主張をするはずだと予見している。
《「私は今レバノンにいて、もう推定有罪で不正な日本国の司法制度の人質ではありません。
日本では国際法無視、差別蔓延、基本的人権も否定される。
私は正義から逃亡したのではなく、不正義な政治的迫害から逃れたのです」》
その主張を裏付けるような東京での獄中体験などを滔々と語ると見られている。
そのインタビューを見た視聴者が、《日本という国があまりにも酷いので、逃亡という手段を取らざるをえなかった》という印象を受けるような主張をすると予想される。
それが分かっていても、ゴーン被告が仕掛けてくる情報戦に対し、日本政府は打つ手もなくタジタジになって、ヤラレっぱなしになるのではと、山岡氏は心配している。
そして《いつものように「遺憾だ、遺憾だ」ばかりを繰り返し、何もできなければ、「日本なんて恐れるに足りない、斜陽の国だ」という印象がますます広がり、レバノンにも馬鹿にされるでしょう。また、「日本は後ろめたい気持ちがあるから毅然とした態度が取れないのだ」という印象も持たれるでしょう》と指摘する。
まったく、その通りだ。
山岡氏は2014年、オーストラリアのストラスフィールド市に慰安婦像設置計画が持ち上がった時、現地日系人らと一緒になって団体AJCNを組織し、圧倒的劣勢を挽回して2015年には「像設置」阻止に成功した人物だ。
日本政府の外交ベタは、日本移民の眼から見てもあまりにたどたどしい部分がある。慰安婦設置の動きがブラジルでも出てきた場合、このような阻止実績がある民間人の存在は実に心強い。
韓国への輸出規制で失敗した日本政府の広報
山岡鉄秀氏が言う通り、迅速性は重要だ。いち早くできだけ広く、正しい情報を周知させなければ、あっという間に、世界の世論に先入観を持たれてしまい手遅れになる。
たとえば今年7月から、日本が韓国に対して輸出規制を強めた際、その理由がブラジルなど南米を始め、欧米諸国にも正しく伝わらなかった。
あの時、日本政府側は「安全保障上の管理の見直し」とか「不適切な事例があった」とか曖昧な説明をするばかりで、外国人には訳分からない状態だった。記者会見する政治家や官僚は、目の前にいる記者にしゃべっているのではなく、世界中に散らばる色々な言語の一般大衆に向かって語りかけているつもりで、誰にでも分かるように説明しなければいけない。
本来ならキチンと、「日本から韓国に輸出した戦略物資が、イランやシリアなどに流れている。このことは、韓国側も認めている事実。日本が韓国に輸出したものが、中東や北朝鮮などでも化学兵器に使われる危険性もあるので、輸出管理を厳格化せざるを得ない」と記者会見するたびに繰り返し言うべきだった。
日本政府がモタモタしている間に、韓国政府による「徴用工問題の報復として、日本政府が輸出規制を強化したのは間違いだ」という主張が、あっという間に広まった。後から日本政府が何を言ってもムダな、先入観でそまった状態になっていた。こんな時、日本政府は正しい情報をすばやく出して、あっという間に世界に広めておく必要があった。
問われるのは素早い情報発信の態勢
「情報戦」に慣れた相手は、どのように言えば世論を動かせるかよく分かっている。ウソをつくこともいとわない場合も多々あり、感情に訴えるような面白くて興味を引きやすい情報を織り交ぜて同情を引く。
このような際、日本国外務省が中心になって、政府の主張を世界の主要言語にすばやく翻訳して、本省サイトはもちろん、各国の日本国大使館や総領事館の現地語サイトに掲載し、在外公館のフェイスブックで瞬時に広めるべきではないか。
外務省サイトによればフェイスブックを開設している在外公館は、アジア23館、大洋州12館、北米17館、南米25館、欧州48館、中東15館、アフリカ26館で、合計166館もある。当然、サイトも持っているだろう。こんな有効な手を使わないのはモッタイナイ。
「世界最強の言語ランキング決定!TOP10」(https://e-student-ph.com/worldwide-languages-ranking-1780.html)によれば次の通り。
【1位】英語
【2位】中国語
【3位】フランス語
【4位】スペイン語
【5位】アラビア語
【6位】ロシア語
【7位】ドイツ語
【8位】日本語
【9位】ポルトガル語
【10位】ヒンドゥー語
最低限、この10言語には一晩で翻訳して広報すべきだ。
今回少なくとも、英語やスペイン語はもちろん、ゴーン被告が国籍や市民権を持つブラジルのポルトガル語、フランスの仏語、レバノンのアラブ語は必須だろう。
外務省が日本語で文章を作成し、それを各国の大使館に送り、職員や専門スタッフに翻訳させ、それをすぐにサイトで公開すればいい。すでに各公館には優秀な翻訳スタッフがいる。彼らを使わない手はない。それにフェイスブックを連動させるだけだ。
この方法は、特にブラジルにおいて効果がある。本紙2019年1月29日付記事にある通り、世界各国にある日本の在外公館公式フェイスブックのフォロワー(登録者)数で、上位10位までにブラジル大使館、サンパウロ、リオ、クリチバ総領事館の4つが入っているからだ。
なかでもブラジル大使館は堂々の世界第1位で、断トツの35万8424人。続く第2位のメキシコ大使館、第3位のアルゼンチン大使館と合わせて、中南米諸国にある在外公館が上位10位中6つを独占している。日系人の多い国・地域ならではの親日度の高さと言えそうだ。
アルゼンチン大使館に次いで第4位となった在サンパウロ総領事館は、2018年1月の登録者は6万6009人だったが、19年1月には20万1949人と3倍以上となった。
このような高いポテンシャルを無駄にしてはいけない。フェイスブックで通常流されるコンテンツは、日本の観光地や文化、生活習慣を伝える映像が多い。
だからこそたまにキリッとした内容を打ち出すと、効果が高い。「ああ、日本はただのお人好しではなく、ピシッとしたところのある頼れる国なんだ」となる。
その動きに、現地語メディアを持つ海外邦字紙や、総領事館が常に連絡を保っている現地メディアが連動して広めていけばさらに効果的だ。
日本発の外国向けメディアの必要性
本来ならNHKを筆頭に日本のメディアがもっと外国語、できればポルトガル語のニュースを発信してほしい所だ。日本の大手メディアは一般に、世界中に特派員を派遣しているが、情報はすべて日本に送られて、基本的に国内でしか活用されない。
大手メディアも英語ニュースサイトを運営しているところは多いが、それでおしまいだ。
数少ない例外はNHKラジオ第2のサイトで、18言語の外国語ニュースを毎日発信しているが、残念ながら注目度は低い。もっと日本国内の主張を外国に広めるための媒体が必要だ。
つまり日本発の外国向けメディア、世界的な通信社機能だ。
その点、日本が学ぶべきは英国の事例だ。スパイ映画『007』を生んだ英国には、BBCという国営放送がある。世界中に支局ネットワークを張り巡らしているところまで日本と一緒だが、世界各地の言語でニュースを発信している点が大きく違う。
例えば「BBCニュース・ブラジル」の歴史(https://www.bbc.com/portuguese/institutional/090120_expediente_tc2.shtml)をたどると、創立したのは1938年と古い。最初のポルトガル語ニュースは3月14日付の「ヒトラーが今晩ウィーンに入る」というものだった。第2次大戦に向かう世界情勢を、ブラジル国内に伝える通信社として重要な機能を果たしてきた。
BBCは1926年に創立され、30年代にはいって外国向けに拡大する方針を強め、最初は英連邦王国(現在16カ国)向けに英語放送を始めた。38年から外国語による放送をアラブ語から始め、その年にはBBCブラジルも創立した。
当時、英国はドイツ、イタリア、ロシアなどのライバル国の隆盛を横目に見て、ラジオを使ったプロパガンダ放送の必要性を感じ、そのような事業を拡大していった。
当時、日本も「東京ラジオ」というプロパガンダ放送をしていたが、敗戦と共に消滅。以来、日本はその方向は消極的になったまま、今に至る。その点、戦勝国である英国はどんどんその方向性を伸ばした。つまり、外国語によるプロパガンダの延長線上に、現在のBBC外国ネットワークがある。
BBCブラジルがスゴイのは、単に世界情勢を伝える通信社というのでなく、ブラジル国内においても外国メディアとして独自の取材をして、ある部分、グローボやフォーリャ、エスタード紙のライバルとなってポルトガル語ニュースを発信していることだ。
1938年当初から6人のスタッフがいたが、現在では30人も抱える。うち25人はジャーナリストだ。英国ロンドンに本部、サンパウロに支局を置き、米国ワシントンとブラジリアには特派員を配置している。
通信員に至ってはベイルート、ブエノス・アイレス、カラカス、ニューヨーク、リスボン、マドリッド、パリ、ブリュッセル、ローマ、テルアビブ、香港にもいる。
これは、BBC全体の海外部門ではなく、あくまでBBCブラジルだけの陣容だ。
このニュースはBBCブラジル自体のサイトで主に報道されるほか、ラジオではCBNやグローボ、テレビBANDでも放送される。
BBCブラジルのフェイスブックのフォロワーはなんと315万人もいる。エスタード紙のそれは370万人とほぼ互角、デジタルに強いフォーリャ紙でも560万人だ。国内の最大手メディアに比較できる情報波及力を持っていると言える。それだけ「ブラジル人が世界をどう見るか」に大きな影響を与えている。
残念ながら、このようなメディアは日本にはない。日本の外交力は、外交官個人による人間関係的な働きだけではない。政府や民間が一体になった素早い情報発信こそが、デジタル時代には求められている。この方向性を持たないと、国際的な存在感が弱いままの状態が続くことになる。
情報を素早く広めた上で、毅然とした態度を
前述の山岡氏は、さらに《世界の眼は、日本政府にゴーン逃亡の手口を徹底的に解明することを求めているし、それができる実力があると期待しています。
まずは徹底調査してその詳細を公表し、ゴーン被告にどのような罪が追加されるか明確にし、さらに、もし外国政府の関与が認められればそれもはっきり公表します。
そして、毅然としてレバノン政府にゴーン被告の引き渡しを要求します。当然、レバノン政府は拒否するでしょう。そうしたら、これまでレバノンに与えている莫大な援助をすべて停止しなくてはなりません。
躊躇なく、です》と指摘する。これも、またその通りだ。
冒頭のヴィラ氏のような影響力のあるコメンテーターが納得する「ゴーン被告の罪状」を分かりやすく幅広く、瞬時に伝えることが必要だ。まだまだ説明が足りない。
その説明の上に立って政府のはっきりした態度を示すことで、国際的な存在感が示される。ぜひ日本国外務省には真剣に考えてほしい。(深)