取材しながら、「日系社会は何を目指しているのか」―そんな疑問を頭に思い浮かべている。
たとえば、リベルダーデ日本広場のイベントで、長崎県人会の青年部があの重たい龍体を振り回して龍踊りを披露しながら玉のような汗を流している姿、レプレーザ文協の皆さんが一糸乱れぬ阿波踊りを披露して会場から喝采を受ける姿、ピエダーデ文協の婦人部の皆さんがイベントのために黙々と美味しい昼食を準備している姿、文協大講堂の華やかな舞台の裏方でせっせと踊り子の着付けをしているお師匠さん。
せっかく努力するなら、皆が一つの明確な目標を意識していたほうが、同じ努力を重ねるにしても、より結果につながり努力が報われるのではないだろうか。
たとえば「日本文化の継承と普及を進めることにより、多文化環境の醸成を進めてブラジル発展に貢献」というのはどうだろうか。
もちろん、そんなことを考えなくても、今まで日系社会は続いてきたし、これからも続いていくに違いない。皆が努力している姿は、それ自体が実に貴い。
でも先述の目標がセットされれば、多くの日系子孫が団体の中心メンバーになっていく循環が生まれやすくなり、年を経るごとに、どんどん力強い活動を繰り広げてくれるようになるはずだ。
そのような日本文化継承が永続するための仕組み作りは、戦後移民や戦前二世が生き残って勢いがある今のうちにしておかないと、できなくなってしまうという恐れもある。
では、どうしたらそれができるか。
マーケティング戦略の「ファネル」とは
企業が経営戦略を考える際、マーケティング用語で「ファネル」(漏斗)という言葉をよく使う。消費者が購入に至るまでの心理プロセスを図にしたものだ。
実際に購入を決断するまでに、消費者が徐々に絞り込まれていく様子を、逆三角形で表している。この心理プロセスを理解して、より消費しやすい環境を意図的に作ることが企業のマーケティングになっている。
たとえば、しょう油を大ビンからしょう油さしに移す際、こぼれないように、間に漏斗を挟んで上からドボドボと注ぐ。あの要領で、何かをたくさん受け入れる際、受け口の広い漏斗を通すことにより、勢いを保ったまま狙ったところに集中させられる。
このファネルには次のような段階がある。企業の場合は「商品を買ってもらう」ことが目標だから、漏斗の先が「購入」になっている。
(1)まずは商品を「認知」してもらう。
(2)次はその商品に関する「興味・感心」を強めてもらう。
(3)関心を高めたら、買う前段階として類似品との「比較・検討」をしたくなる。
(4)比較・検討した結果、やっぱりこの商品が良いと決断したら「購入・申し込み」の段階になる。
下向きの漏斗はここでお終いだが、次の段階もある。
それは(5)商品を継続して購入してもらうこと。さらに(6)その商品のファンになってもらい、その良さを友人や周りの人に口コミで紹介してもらう。
最後には(7)自らがその商品の熱烈なファンとしてブログやユーチューブで宣伝する側に回ってもらう。ここまでくると、企業側が放っておいてもどんどん商品が売れるというサイクルに入る―という考え方だ。
では、これを日系社会に当てはめるとどうなるか。
日系社会に当てはめるとどうなるか
「日本文化の継承と普及を進めることにより、多文化環境の醸成を通してブラジル国家発展に貢献」という漏斗の先に、人材を集中するにはどうしたらいいか。
(1)「認知」の段階は、日本文化にまったく関心がなかった人でも、「面白そうだから日系イベントにちょっと顔を出して見ようか」「のぞいてみようか」「読んでみようか」と思えるようなブラジル一般社会への働きかけだ。
主にその役割を負うのは、県連日本祭りを代表とする各地の日本祭りや日系団体イベントおよび漫画アニメイベント、日本移民史料館、ジャパン・ハウスや国際交流基金による一般社会への広報だろう。
(2)「興味・感心」では、(1)の働きかけて何げなく「のぞいてみようか」と思った人が、実際に見てみて「面白そう! もっと詳しく知りたい」と興味を持つところまで行く段階だ。
友人に連れられて日本食レストランに足を運んだとか、インターネットで漫画、アニメ、Jpopから関心を持つ若者が多い。加えて日本祭りなどに足を運んで和太鼓の演奏、Yosakoiソーランや民謡、日本舞踊、カラオケに関心を持つ人もいる。ここでは感情に訴えるようなインパクトの強さが重要だ。
この部分の選択肢は現状、かなり充実している感じがする。
(3)関心を持った人は「じゃあ、どれをやろうか」と「比較・検討」する段階になる。そのときにインターネットで検索・調査したり、実際にセミナーに参加したり、本を読んだりする。ここでは、冷静かつ客観的になった人に対し、「時間をかけて取り組む価値がある」と感じさせる深みが必要だ。
ここの部分では、日本の文化、歴史、政治、テクノロジーなどに関するポルトガル語書籍やサイトが必要だ。日常の買い物もそうだが、人はあるていど幅広い選択肢の中から選ぶと「満足できる買い物をした」と感じる。
それには、一つのテーマに関して数人が別々に自分の意見を論じているページや本がある方が良い。
ところが、この部分が圧倒的に情報量が足りない。JICAや国際交流基金はこの部分のポルトガル語の情報発信、出版助成を圧倒的に増やしてほしい。
(4)調査を終えて決断した人が実際に「購入・申し込み」の段階になる。この段階は、人生における一つの選択肢を選ぶ重要なステップだ。
日本食レストランの常連になる、ある日本商品ブランドのファンになる、裏千家に入会したり、武道に興味がある人は道場に入会したり、日本語学校に入学したり、何かを学び始める。
進出企業にとっては最も関心のある部分だろう。
このファネルの一番上の入り口に、どんどん人が入ってくれば、スムーズに日本語学校の生徒が増えたり、日系団体の新規参加者になっていったり、日本製品のファンになったり、日本食レストランの常連客になる仕組みを作らなくてはいけない。
日本文化に習熟したらメリットが生まれるべき
(5)ではいったん、人生に関わる選択をしてもらった人たちに「継続」して選び続けてもらう、リピーターになってもらう必要がある。
その際、日本就労、日本留学・研修なども重要な選択だ。実際に日本を訪れてみることで圧倒的な体験が得られる。その人の人生を左右する判断に影響する。
ただし、この部分はビザや留学制度の要件が日系人に限定されている傾向が強く、ネックとなっている。日系・非日系関係なく1~2年滞在できる「ワーキングホリデービザ」は今後、一般社会への日本文化普及において必須といえる制度だ。「日本語学校で学んだ生徒にはワーホリビザがでやすい」などの特典を仕組化してもらいたい。
日本に留学・研修する制度は、各県はもちろん、JICA、外務省、日本財団などなどいろいろある。「留学あっせんセンター」的な機能をどこかの団体に持たせて、そこにいけば全ての留学制度についての詳しい情報が分かるようにしてほしい。「せっかく留学枠があるのに応募者が集まらない」という事態は避けてほしいところだ。
日本側(県庁側など)も「会の将来を担う人材」に焦点をあて、県人子孫や日系人でなくても参加できる道筋を開いて欲しい。
(6)「紹介」では、日本文化に関する修練や鍛錬、日本での留学・研修の結果、自らが紹介する側に回る段階だ。
日本語や日本文化を学んだことにより経済的な利益につながる、社会的なステータスにつながるなどの実利が大事だ。日本語教師であれ、歌手であれ、職業として収入があれば活動が続けられる。
日本語を学んだ人にはメリットのある仕組みを、日本政府機関や日系団体、進出企業などが意識して作ることが大事だ。全ての研修生・留学生OBを網羅するネットワークを作り、その人脈に入ることで、より社会上昇しやすくなるようなルートにしたい。例えば、進出企業は、そのようなネットワークにいる日本で就労・留学・研修体験者をぜひ重用してほしい。
また、進出企業に一つお願いしたいのは「日系人は日本人と同じ顔をしているのだから、日本語が話せるのは当たり前」と考えるのはやめてほしい点だ。家庭内に日本語環境が残っている家は、ほんの一部しかないからだ。
日本語を話せるブラジル人に「日本語上手ですね」と感心するなら、今どきの日系人はそのブラジル人と同じだけの努力をしている。その努力を正当に評価してほしい。
(7)の「発信」では、日本文化に関わってきたメリット、気付きを一般社会に向けて自ら発信してもらうように刺激する必要がある。
ここの部分で「にっけい文学賞」などの奨励賞はとてもいい刺激になるのではないか。文学という形で日本との関わりを表現してもらうのは、とても前向きだ。同様に、いろいろな分野で日本文化発信をしようとしている人を支援する制度、情報発進している人を奨励する賞をもっと作ってほしい。
この情報発信自体がビジネスとしても成立している方が良い。ニッケイ新聞やニッパキ紙などの日系メディアはこの役割をしっかりと担わないといけない。自己判断では、現状かなり不足している部分だ。
この情報発信が充実すれば、ある程度放っておいても、自律的に(1)にあるような「日本祭り」参加者、移民史料館を見に行く人、ジャパン・ハウスに足を運ぶ人、リベルダーデにやって来る人はどんどん増えると予想される。それが増えれば、漏斗の先に集まる人も増えていくはずだ。
各団体で役割分担を明確にし、目標達成の確認を
どの団体や会社がどの機能を担っているかをはっきりと自覚して、しっかりと役割を果たす必要がある。足りていない部分があれば、それを強化して、スムーズに漏斗が機能するようにしたい。
日系社会が目指しているのはどの方向で、それに向かってどのような戦略を立てているかを定期的に確認することは重要だ。たとえば2年ごとに目標確認をして、遅れている部分、ボトルネック(物事の進行の妨げとなる要因)になっている部分があればそれを補強する方法を考える。
そんな日系社会戦略を文協には、ぜひとも立ててもらいたい。(深)