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日本人に対しても変わらないボルソナロの偏見

NIPPAK紙の記事

 26日夜のことだった。コラム子は妻から、「これ、あなたが書いたの?」と、彼女が開いたノート・パソコンを指して言われた。読んでみるとそれはフォーリャ紙の記事で「日系の新聞がボルソナロ大統領を批判」と書かれてあった。

 「えっ、どれのことだろう」とコラム子も一瞬、自分のことかと気になったが、ポルトガル語の記事は書かないので、コラム子とは関係ない。それは23日付の本紙系列の「NIPPAK」紙に弁護士の原田清氏らが寄稿したものだった。

 だが、そこで「NIPPAK」紙が報じたことは重要なことなので、ここでも記しておきたい。

 それはボルソナロ大統領が、日系人ジャーナリスト、タイース・オオヤマ氏が1月に発表した著作『トルメンタ』を批判した際に起こったものだ。

 オオヤマ氏は、国内の週刊誌最大手の「ヴェージャ」誌のチーフをつとめていた人物で、本著はボルソナロ氏の大統領就任1年目の世間の内幕を報道した内容だったのだが、その批判的な内容に大統領は激怒し、16日に、「その本を書いたジャポネーザはブラジルで何をやっているやら理解できないし、今度はブラジルに害を加えようとしている」と発言した。

 だが、オオヤマ氏は、日本の出身ではなく、大サンパウロ市圏モジ・ダス・クルゼスで生まれ育った日系三世の伯人。いくら腹が立っていたとはいえ、その人種上の見かけだけでブラジル人を勝手に偏見で外国人扱いをしたわけだ。いわば黒人なら「アフリカ」、ユダヤ人なら「イスラエル」と勝手に出身国を決めてよそ者扱いされるようなものだ。自身も祖先はイタリアとドイツからの移民のはずだが。

 もっとも、大統領が日本人、ならびにアジア人への偏見を表したのはこれがはじめてではない。昨年5月にはアマゾニア州の空港で、自身の支持者だと思しき日系人が近づいてきたとき、「日本だと、あそこは何でも小さいんだろう」と聞き、さらに親指と人差し指を狭めながら「あそこもな」と、日本人の男性性器をからかう卑猥なジョークまで飛ばしている。

 さらに昨年10月に、日本を含むアジア数カ国への来訪を行なった直前でも、自身のフェイスブックで行なった生放送でも、多くのアジア人が嫌う、目を細長く吊り上げるジェスチャーを行なっている。

 こうした昨年までのことなら、人種的ステレオタイプに気を遣わない「趣味の悪い冗談」で済まそうと思えば済ませたもの。だが、それがこと、「国籍」ということになると話は別。ブラジルで生まれポルトガル語も話すどころか、自分の両親までもがブラジル人なのに、それをも否定しかねないような言動を行なうのはいかがなものか。

 ブラジルの場合、「人種差別」で例に出されるものと言えば、黒人か先住民というイメージがあり、アジア系が話題になることはほとんどない。それはブラジルの場合、日系人人口がかなり多いことにも起因しているだろう。だから、これまで大きなニュースになることもなかったし、今回の件もブラジル社会全体ではそんなに大きなものではないように思う。

 だが、今回の件は、ボルソナロ氏は人種的な偏見を、これまで度々報じられてきた黒人や先住民だけでなく、日系人にも持っていたことを示唆している。

 18年の大統領選の際、ボルソナロ氏の日系人の支持率はブラジル国内でも、日本居住者の間でもブラジル人全般より高かった。それは今回のようなことが起きても、変わらないものだろうか。(陽)