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県連日本祭りで「日本移民ショー」改訂版再演を!

サンパウロ公演で演奏するYOSHIKIとToshi(Julio Fugimoto, from Wikimedia Commons)

 「こんな解釈があるのか!」――9日に行われた憩の園チャリティ歌謡祭「日本移民ショー」の出だしは、実に衝撃的だった。
 90年代に一世を風靡した、当時の若者風俗を代表するような尖ったビジュアル系ロックバンド「XJapan」の音楽を使って、「明治の精神」を受け継ぐような日本移民史を表現しようなどという試みは、少なくとも日本では通常ありえない発想だ。
 あの華々しい「XJapan」の代表的バラード「Tears」が大音響で始まったと思ったら、日本移民史の流れを総括するようなメッセージがスクリーンに次々に表示され、それが奇妙なほど関連深いものとして表現されていたからだ。
 たとえば、冒頭の歌詞「何処に行けばいい 貴方と離れて/今は過ぎ去った時流に問い掛けて」という悲しいメロディーに、神戸港を出航する移民船の悲しい別れの場面に合わされると、なにか家族や恋人などの大切な人との別れのシーンを歌っているかのように思えるから不思議だ。
 さらに「長すぎた夜に 旅立ちを夢見た/異国の空見つめて/孤独を抱きしめた/流れる涙を 時代の風に重ねて」という部分では、「異国の空見つめて」という部分がキーワードだ。これは、祖国を離れてコーヒー耕地で奴隷さながらの辛い労働に耐える移民の心情を連想させるものがある。しかも「孤独を抱きしめた」と言う部分は、戦後のコチア青年などの単独移民、もしくは構成家族として移住して、その後、別れて一人でブラジル社会に入っていった移民の姿に重なる。
 サビとなる英語の歌詞「DRY YOUR TEARS WITH LOVE」では「(家族の)愛で涙を拭いて」というポ語訳が表示され、愕然とした。まるで「ブラジルで家族を作って、子どもを育て、年老いた今、かつての苦労は報われたのだから涙を拭いて」と言っているように聞こえるから不思議だ。
 もっとも伝統的なものからかけ離れた存在に思えたビジュアル系ロックのバラードが、移民の歴史に当てはめられた。音楽に合わせて展開される、独自の日本移民史解釈が実に興味深かった。
 このような解釈は、日本の正統派XJapanファンからすると邪道に違いない。だが2007年に再結成以来、「世界進出」を狙い、2017年9月にはサンパウロ公演も果たした。ある意味、XJapanの曲が現地独自の解釈がされるようになったのは、「世界進出」して現地に定着した証拠かもしれない。

2017年9月、サンパウロ公演時、会場の大半を占めるブラジル人がForever LoveとEndless Rainを大合奏する様子


 この「Tears」の直後に、戦前の地方部の貧しい家庭の土間がスクリーンに映され、舞台上ではブラジル移住を決める家族会議の場面の芝居となった。まるでNHKドラマ「おしん」のような光景。XJapanの次の場面は「おしん」という急展開には、さらにド肝を抜かれた。

2020年2月14日付「憩の園=移民ショーで客席も舞台も涙=歌手「涙堪えて歌うのが大変」=2回公演で満員の大成功」

2020年2月14日付「憩の園「日本移民ショー」特別写真グラフ」

県連日本祭りで改定版の再演はどう?

最初の出港シーンでは、遠い過去の記憶が蘇り、涙ぐんで顔を覆い隠す来場者も

 「移民ショー」当日は、當間ファビオさんがプロデュースを担当した。彼のセンスによるところが大きい。それにカンピーナス日伯文化協会のグルッポ・ミツバ、気炎太鼓、琉球國祭り太鼓らに加え、イサ・トヨタ、谷川セルジオ、平間パウラ、西村武、水谷ペドロ、岡本明美、水谷エウニセ、高畑正二、山下ヤスミンら豪華コロニア歌手が出演して盛り上げた。
 憩の園という高齢移民が住む施設と、移民史を歌い上るこのイベントの相性は抜群だ。ショー自体の正当性というか、信憑性が高まる感じがした。
 「移民ショー」前半には、芝居があちこちに挟み込まれることで、音楽に移民史的な意味づけがされ、味わい深く歌詞が楽しめる工夫が随所にあった。
 余計なお世話かもしれいが、戦前の植民地唯一の娯楽ともいえる芸能祭やシネマ屋、相撲などの場面があれば、もっと楽しめたかもしれない。
 さらに移民史をひもとけば、マラリアで半数が死んだ平野植民地の悲劇、ブラジル経済全体に貢献したジュート栽培をした高拓生の話、笠戸丸移民で南米の博打王イッパチ(儀保蒲太)と日系初の歯科医となった金城山戸の両極端な人生、生き別れになった家族もいた戦中のサントス強制退去など、物語的要素の強い実話がごろごろしている。
 ショー後半は一転してあまり芝居がなく、移民史にからんだようなストーリーが展開されず、むしろ純粋に曲や和太鼓演奏などを並べた流れに。前半の移民史色を前面に出した演出とは変わった感じになった。
 とはいえ、写真結婚をテーマにした笑いのある芝居、子どもたちによる運動会の若々しいシーンもあり、未来を感じさせる良い演出だった。
 だが戦後は戦後で、勝ち負け抗争から永住決意、日系政治家の政界進出を手伝った洗濯屋やフェイランテ、戦後移住が船から飛行機へ、二世の大学進出、大臣などの社会的に重要人物の輩出、コチアや南伯産業組合の隆盛と崩壊、南米銀行の吸収合併などなどブラジル社会に影響のある大きな出来事があり、そんな物語と芝居と歌をもっと絡ませる演出をしてほしかった。
 そして、プログラムの最後には「世界に一つだけの花」とあるのに、歌われなかったのも残念。ぜひグレードアップ版で再演をお願いしたい。

「日本移民ショー」の終幕部分

発展し続ける日系文化

 救済会が1月27日晩に入園者やスポンサー企業、出演歌手ら約50人を集めてショーの趣旨説明会を開いた際、イサ・トヨタさんは「日本移民百周年の時にグルッポ・サンセイが、移民史をカラオケのミュージカルとして上演したのを見て、これの私たち版はできなかと考え始めた」と語っていたのを聞き、深く感動した。
 「各地の日系文化はつながっていて、共に影響を与えながら、全体として発展し続けている」と深く感じいったからだ。
 グルッポ・サンセイは非常に興味深い団体だ。城間美智子さんを中心に北パラナのロンドリーナ市に1988年に設立された。もともとはミチさんのカラオケ教室の生徒、三世世代を中心に結成し、独自の活動を繰り広げていた。

パラナ州のグルッポ・サンセイの「A saga dos Imigrantes Japoneses no Brasil」の一場面(グルッポ・サンセイ提供)

 同グルッポは、移民90周年の1998年の頃から、得意なカラオケを使った独自のミュージカル劇「日本移民物語」(A saga dos Imigrantes Japoneses no Brasil)を始めていた。
 ビデオ映像と舞台劇で、日露戦争からデカセギ現象までの移民史、百年間を一時間半で描く作品だから、まさに今回の「移民ショー」の原形といえる。当時、パラナ州各地を中心に公演を重ね、百周年だった2008年の頃には1万人近い人がすでに鑑賞していた。コラム子も百周年当時、北パラナのアサイで上演されているのを取材したことがある。
 それを見たサンパウロのコロニア歌手が、新しいバージョンを作りだしたのだ。パラナで生まれたこのアイデアが、サンパウロに移植されて独自の解釈が加えられて発展し、移民112年に上演されているのだと思うと感慨深いものがあった。
 このような「日系文化」は日本文化とは別物だとつくづく思う。日本文化の中で、ブラジルに受け入れられやすい部分をとりだして、現地向きに馴化、アレンジ(応用)したものが「日系文化」だ。
 「日本文化」は一世を中心に一部の二世に広がった「日本語世界の文化」という感じがする。
 だが「日系文化」は、一世をご先祖様と仰ぐ二世、三世らが、自分たちが理解した日本文化の範囲中で、ブラジルでも受け入れられそうなものだけを選び出し、ポルトガル語世界の中で独自に解釈し直したものだ。
 ふと思いついたが、今年の県連日本祭りの眼玉演目として、土日とも2回ずつ、上演したらどうだろうか? 芝居を多めにすれば、日系人だけでなく、他の民族の移民子孫も関心を持つに違いない。
 ちょっと贅沢かもしれないが、その際は、和太鼓やYosakoiソーランだけでなく、ぜひ海藤三味線教室のグループ民とか、和太鼓「生」、玉城流扇寿会斉藤悟道場、ジャパニーズ・ダンス・カンパニー「優美」などの若手芸能グループを結集させてみたらどうだろう。
 各地の毎回、出演者を入れ替えたり、日本語学校生徒に日本語劇の部分に出演させたりというのも良いかも。
 日本祭りに来伯した日本からの来賓、協賛企業の社員の皆さん、駐在員の皆さんにもぜひ鑑賞してもらい、移民の歴史を知ってもらえればさらに意味が深くなる。(深)