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復興する福島を海外に伝える=移住者子弟の受入研修=(8)=国と母県の友好の懸け橋へ

鶴ヶ城を背景に記念写真

 研修生が最も興味津々だったのが、ブラジルにポルトガル人が来るより前、今から約630年前に造営された『鶴ヶ城』だ。会津若松市のシンボルといえる歴史的建造物だ。
 城の中心的な建物である天守を見上げ、その壮大さに一行は思わず歓声を上げた。中は郷土資料館となっており、最上階・五層からは雄大な会津の景色と城下町を一望できる。

難攻不落の名城として称えられた『鶴ヶ城』

 幕末の戊辰戦争で会津藩は幕府軍として戦い、東北最大の激戦地の一つとなった。新政府軍の1カ月に及ぶ激しい攻撃に、会津藩士らは鶴ヶ城に籠城して耐え、「難攻不落の名城」として称えられた。だが明治政府によって取り壊され、それを1965年に再建したのが現在の天守だ。
 飯盛山からは、鶴ヶ城を囲む城下町が一望できる。この内戦で、町から火の手が上がっているのを見て、敵と戦うか城をめざすか激論ののち、武士の矜持をもって自刃した白虎隊(16~17歳)十九士の墓があり、花を手向ける人が後を絶たない。
 昼食は名物ソースカツ丼作りを体験し、末廣酒造嘉永蔵の名酒を味わうなど、大満足な1日となった。会津を後にして福島市に戻ると、県費留学生の理恵さんとはここで別れた。
   ☆
 「母国と第二の故郷である福島県の友好の懸け橋となり、家族や友人とまた福島に来てください」――内堀雅雄県知事は、研修生にそう語った。様々な場所を巡り、震災後の復興への歩みや豊かな歴史と文化を学んだ研修生らは、研修9日目の30日に県庁で知事を表敬訪問した際に、そんな言葉をかけられた。
 内堀県知事は丁寧な口調で、研修で印象に残ったことを研修生に尋ねた。レヴィさんが「来る前は怖かったが、楢葉遠隔技術開発センターで復興への取組を知って安心した」と語ると、「世界中に原発事故の印象が残っているが、レヴィさんのように実際に福島に来ると復興していることが分かる。Jヴィレッジは聖火リレーのスタート地点にもなった。テレビで見た時にこの研修を思い出してほしい」と語りかけた。

意見交換

 研修生代表でレヴィさんが内堀県知事から県の土産を受け取り、その後各研修生からプレゼントが手渡され、最後は全員で記念写真を撮った。県庁との意見交換会では、県からは国際課の職員の他に、大島幸一生活環境部長と新関勝造生活環境部政策監が対応した。

代表で内堀雅雄県知事からプレゼントを受け取ったレヴィさん

 研修の感想を問われ、アガタさんは「復興のことは聞いていたが、各視察先の取組は見事で、予想以上だった」と驚いた様子だった。アルゼンチンの研修生、嘉瀬クリスティアン・ガブリエルさん(24、三世)は「復興への取組を色んな角度で知ることができ素晴らしい研修だった」と充実ぶりに感動していた。
 県庁からは出生国での風評払拭も望まれている。帰国後の情報発信について問われ、レヴィさんは「随時SNSで情報発信しており、帰国後の報告会でも皆に知らせるつもり」と意欲的に語った。
 各国県人会の活動内容を意見交換する際、ブラジルから活発な活動が報告された。一方で他国の県人会からは「会員が高齢化し人数も少ない」、「活動はわずか」などの意見が多かった。その中でも、アガタさんは「ハワイの県人会のピクニックは楽しそう」と早速アイデアを取り入れる考えを示していた。

内堀県知事との記念写真

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 最終日の31日には水族館『アクアマリンふくしま』を視察後、まっすぐに成田空港へ向かった。バスの中では、10日間を共にした仲間の研修生と別れを惜しみながらも、これからも連絡を取り続けることを約束し、それぞれ帰国した。
 レヴィさんは「福島を訪れる前、友人から『なんで行くんだ?』と何度も聞かれて怖かった。ネットでも悪いニュースばかりだった」とネガティブな印象が強かったと振り返る。
 だが今は違う。「研修に参加を決めて本当に良かった。福島は官民一体となって復興への努力を続け、技術開発も進んでいる。自分のルーツを見つけたことも良かった。ブラジルに帰ってからもポジティブな情報を発信していきたいし、日本にもまた行きたい」と目を輝かせた。
 アガタさんも「思ったよりも福島県は過ごしやすかったし綺麗だった。特に印象に残っているのは会津地方。雪を初めて見てそり滑りができたことがとても印象に残っている」と語り、「ブラジルは災害対応が難しいところもあるが、福島は行政がきちんと復興への取組を行っていたのが素晴らしかった。こうした取組は帰国後にぜひ皆に知らせたい」と笑顔で述べた。
 福島県の要望により、この連載はポルトガル語に翻訳して、姉妹紙ニッパキにも掲載された。さらにブラジル大手メディアのエスタード紙28日付SEXTOU!版にも一部が掲載され、この研修の内容はブラジル社会にも幅広く共有された。
 今年の3月11日までに、日系社会だけでなくブラジル社会からのFukushimaへの視線も、今までより優しいものになっているに違いない。(終わり、有馬亜季子記者)