アキミツは中学校を中退し、ネウザ洗濯店で働いていた。保久原家がサントアンドレ市に引っ越したとき、マサユキを指導してくれた松吉じいさんの洗濯店だ。
セーキは暇なとき近所を歩き廻り捕まえてくる小鳥の世話をしているが、サッカーに興味をもつようになった。家族の買い物のつり銭を少しずつ貯めて、ユニホームを買ったのだ。ゴールキーパーだからみんなの制服より高かった。長袖のシャツと立てすじの入ったズボンだった。すねあて、スパイク、靴下も必要だった。問題は日曜日、朝の試合後のユニホームの洗濯だった。父親に内緒でやっていたから家で洗うわけにはいかない。
正輝は「働きたくない毛唐(けとう)のやることだ」とサッカーのことをこういう。国粋主義の日本人は非日系人を馬鹿にして「毛唐」とよんだ。セーキはチームには日本人か日系人しかいないと説明したかったが、父が信じてくれないと思っていいだせなかった。たとえ信じたとしても、父にとって、サッカーは「毛唐のスポーツ」にかわりはないのだ。ユニホームを洗うのにチームの同僚松田ヨシアキが手を貸してくれた。沖縄県人の息子で、セーキといっしょに上原洗濯店で働いていた。
上原は変わった男だった。経済的豊かさを正輝に見せつけるかと思えば、ときには寛大にもなった、商売の競争相手が破産したあと、その家の子どもを雇った。そして、正輝を励まし慰めるためにたびたび家にやってきた。けれども、正輝は上原が帰っていくたびに、敗北感に打ちのめされた。正輝がいかに貧乏で苦しい生活を送っているかを確かめにきているように思えるのだ。正輝の貧困さを目にして、優越感を味わっているようにみえる。
「俺は成功したが、おまえ決して俺のようにはいかないぞ」
口とはうらはらに、内心じぶんは勝者だとおもっているのだ。
正輝の日々の苦痛、家族を養っていく困難、それが上原の誇りと満足の糧となっているようにみえる。他人の肉体的困難ならともかく、経済的、家庭的困難に対し優越感を味わっているといえる。
上原のたびたびの訪問を正輝はそのように考えていたが、それは正輝の思い過ごしかもしれない。賢い正輝は上原がやってくることに文句ひとつ言わず、苛立ちを顔に出したことはない。あるいは二人ともなにごとにも波を立たせずその場を上手につくろい、この先も長い交際を保とうと、うまく演技していたのかもしれない。
上原はセーキを雇ってくれただけでなく、他の子どもたちにも気をつかってくれた。売れっ子の美空ひばりの新しいレコードをあのレコード・プレイヤーで子どもたちに聴かせてくれた。この歌手は戦後すぐ、7歳か8歳で歌手として登場、今、15歳に満たないが、歌はものすごくヒットしていた。ヒット曲のひとつ、「リンゴ追分」を上原は年がら年中プレーヤーでかけていた。
はじめの2行の歌詞は「リンゴの花びらが 風に散ったよな」だった。「はなびら」を沖縄弁で発音すると、おしまいの「あ」が長音となり「ハナビラー」となる。だから、下の子どもたちは「花びら」が「鼻びら=大きな鼻」と解釈し、この曲を「大きな鼻のリンゴの木」とよんだ。
上原は子どもたちを優遇する。アキミツにタバコを吸うことを教えたのも上原だ。
「おまえはもう大人だ。だから、大人のすることを覚えなくては」
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