「日本とブラジルを繋ぐ国際交流の仕事ができれば最高です」――静岡文化芸術大学(浜松市所在)の4年生、イノエ・デ・リマ・エドゥアルド・ダイキさん(22、三世)は、帰国後に就職活動を開始する予定。7日に静岡県人会で取材すると、将来への熱い想いをそう語った。
「ブラジル青少年派遣事業」に参加した学生5人の中で、唯一の日系三世。6日にサンパウロ市のジャパン・ハウス(JH)で、他の学生が英語で行った静岡県紹介のプレゼンをポルトガル語に通訳をした。当地の親類が駆けつけ、その晴れ姿をじっと見ていた。
イノエさんは日本生まれの三世だが、両親の都合で小学校1年から5年生までの間はブラジルに戻って当地の学校へ。その後に再び日本に戻ったが「最初の1、2年は日本語の授業についていけず困った」と思い出す。
「小学1年生から6年生で覚える漢字を、5年生に編入してから1年間で猛勉強した」と振り返り、歯を食いしばって耐えた辛い日々を懐かしんだ。日系ブラジル人ということでイジメを受けた事もあるという。
授業について行けるようになった高校生の時には、在日外国人に日本語を教えるボランティアを始めた。同教室にやってくる外国人の多くは工場労働者で二交代勤務。最初こそ一生懸命だが、次第に仕事に疲れて来なくなってしまう。彼の両親もまた日本語が喋れない工場労働者だったため、その苦労を身近に感じていた。
「この人たちが『住みやすい』と感じるようになるにはどうしたら良いだろう」と考え、多文化共生や国際交流に強い関心を持つようになり、静岡文芸大に進学した。
再び母国を訪れた印象を尋ねると、「昔は治安の悪さばかり気にしていた。今回来て、少し余裕を持って人間性まで見られるようになった」との心境の変化を語った。
JHでの研修を通じ、文化施設の仕事にも興味を持ったそう。「言語力を活かした仕事につきたい」というイノエさんは帰国後、夢の実現に向けて就職活動を始める。