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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(231)

 ネナは料理やその他の家事をしっかりと、文句も言わずにこなしていた。それを房子がひき継ぐわけにはいかないと正輝は考え、ほかの娘にその役をさせた。結局、10歳になったヨシコに料理を、ツーコに家事をさせることにした。そして、たまに夕食を作っていた正輝が、今度は毎日作ることになった。
 前から肺の調子がよくなかったヨシコはますますひどくなった。動悸を訴え、ひどい咳で息苦しく、食欲も衰え、やせつづけた。火曜日の朝市のお客さんでコロネル・アルフレッド・ファッケル街にある薬局のザネイ薬剤師の勧めで、房子は薬を与えたが、一時しのぎに過ぎなかった。一時は治まるが、すぐにまたぶり返す。しわがれ声、咳、息切れ、食欲減退をくり返した。
 「加持祈祷をしなければ」と両親は決心した。サンパウロの奥地のポルト・フェレイラとモコカの間にあるタンバウーという小さな町にドニゼッチという神父がいた。ジョエルミールという子どものどもりを神父が直し、彼をラジオのサッカー実況の放送をするようになるまでしたという。
 ラジオ・ナショナルの放送番組にいつも午後から放送される「アヴェマリアの時間」という番組があった。番組はジュール・マスネ作曲、オペラ「タイス」のなかの「瞑想曲」から始まる。アナウンサーは貧乏人に「イエスの小さな袋」を配ることで名が知られたペドロ・ジェラルド・コスタで、ドニゼッチ神父の祝福をラジオで伝えていた。ドニゼッチ神父の祝福を受けたい者は「アヴェマリアの時間」の放送時間に澄んだ水をビンに入れ、ラジオの上におけば、加持祈祷を受けられるのだ。その水をうやうやしく飲めば、病気が癒されるという。
 正輝はタンバウーの神父の祝福を直接うけたいというサントアンドレの日本人のグループがいることを知った。さっそく、奇跡で病気を癒す神父のいる奥地へみんなでトラックに乗って訪れることにした。祝福をうけるための条件はドニゼッチ神父の説教と祈祷を聞き、祝福した水のビンを彼から直接受け取って、もって帰るということだった。ラジオを通した祈祷の効果が高いというのだ。
 正輝はビンに入った水をもって帰った。ただ、問題なのはその水を飲んだあと、どうやって、祝福の水を手に入れるかだった。家にはラジオがないから近所の人に頼むしかない。マニール氏の大きな土地にはほかにも借家がたくさんあり、その一軒にルシアという未亡人が住んでいる。正輝とは反対に裕福な暮らしをしていて、ニスで塗られた箱型のラジオをもっていた。応接間の家具の上におかれたラジオには青とピンクのレース編みで飾った白いタオルがかけられ、上にはプラスチックの花が飾られていた。この花瓶を「アヴェマリアの時間」のドニゼッチ神父の祝福の時間に水のビンに置き換えさえすればいいのだ。
 はじめの何回かは正輝自身がルシア夫人に頼みに行ったが、そのあとはツーコに行かせた。なんと、この水を飲み始めてから、ヨシコの体調がよくなりだした。慢性喘息が完全に治まってしまったのだ。彼女は肥り出し、いや、肥りすぎたぐらいだ。

 このラジオ放送でヨシコの病は治ったことで、家族はラジオが欲しくなった。正輝は日本語の放送があることを知っていた。もう長いこと使わなくなった日本語だ。